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zoom RSS 映画「木洩れ日の家で」を、ようやくキネカ大森でみた

<<   作成日時 : 2011/09/23 06:23   >>

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岩波ホールでは、階段の下の方まで列ができて、いつも満員ではいれなかった映画だ。 そういう評判の映画は、大抵、私は、がっかりすることが多い。 「木洩れ日の家で」は、良い映画で、がっかりすることはなかったが、なぜ、あれほどの人気があったのかは、いまいち定かではない。

アニエラはいい歳だ(ダヌタ・シャフラルスカ)。 偏屈で、医者の一言でも気に入らないと言って診察を辞めてしまう。 下宿人もあきれて出て行ってしまう。 犬と二人で暮らす毎日。 本を読むのも疲れる。 町に出るのはもっと疲れる。 家に居て、することといえば、双眼鏡をもって近所の観察をすることくらい。 戦前からの思い出のこもった家に居て、特にすることもないが、寂しいこともない。 隣家のダンスパーティを見ては、自分の若い時の彼とのダンスを思い出すし、近所の悪ガキ達をみれば、息子の可愛らしい子ども時代をおもいだす。 

「あなたなの?」の決まり切った言葉で愛人の来訪を迎える女が住む隣家は、成り金男で、アニエラの住むこの家を買いたいと言ってきた。 反対側の隣家は、貧しそうな若い男女が子どもたちに音楽を教えている。 子どもたちの演奏はうるさいが、子どもたちをみていると心が緩むことが多い。 成り金の方は、どうにもこころが通うところが無い。

土曜日になると、たよりない息子(クシシュトフ・グロビシュ)が、デブ娘をつれてやってくる。 嫁はどうも自分とうまくいかないらしく、同居は無理と息子は言う。 しかし、この家を離れる気は無いのだ。 成り金の隣家に、絶対に売らないと言いに行かせたが、ミイラ取りがミイラになったらしい。 アニエラ抜きで、なにか密談をしているのを愛犬フィラデルフィアの機転で見つけてしまう。 息子の本音はひどいものだった。 嫁の方がまだまともだった。 

木漏れ日の自然に囲まれた家で、嵐が繰ると生きる気力があふれ、雨を浴びるくらい元気なのに、息子の裏切りには、生きる気力もなくしてしまう。 しかし、「白黒つけよう」と、ある決断をする。

アニエラは多分、戦前のポーランドでは、よい暮らしをしていたのだろう。 ドイツやソ連に蹂躙され、その生活もめちゃくちゃにされたのだろう。 戦前は立派だった家が、いまでは、あばら家になってしまった。 泥棒に入ってきた少年ドストエフスキー(カミル・ビタウ)も、いろんなものはあるが、結局盗る物もなく帰って行った。 愛人をもつ成り金は気に入らないが、貧しい少年たちには共感をすこしは感じる。


年寄りは偏屈なものだ。 それは仕方ない。 もう外に気にするものは無くなるから。 しかし、死は自分の思い通りにならない。 早く死にたいと思っても自分ではどうにもならない。 アニエラは、その死をまるでコントロールできるかのようだ。 それができるなら、羨ましい限りだ。 子どもたちに未来を託すことも、資産を残すこともやめたら、それはそれでひとつの精神の自由にはちがいない。 

ラストで、多くの観客、それも老人が感動したと伝えられたが、それは週刊誌デマだったかもしれない。 ごく自然なラストで、ああよかったなという程度だった。 しかし、モノクロの画面に緑の木立が美しい。 カメラがずっと上に上がると、木々のなかに家が埋もれてみえない。 美しい風景だった。 ストーリーはともかく映像はかぎりなく美しい。






映画「木洩れ日の家で」( ドロタ・ケンジェジャフスカ監督 原題PORA UMIERAC  ポーランド  2007)


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