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zoom RSS 映画「サラの鍵」は、久しぶりの素晴らしい映画。 涙が止まらない。 

<<   作成日時 : 2011/12/28 20:58   >>

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最後のシーン、ウィリアム・レインズファード(エイダン・クイン)が泣くのと同様に、私も溢れる涙を抑えられなかった。これはネタばれではない。この涙はなんだろう。人を偲ぶということだろうか。人が生きてきた証を認めること、それを受け止めること、そして、次代に引き継ぐこと・・・そう想うこと自体が希なことで涙を誘うのだろうか。こんな簡単に泣きだすから、若い時よく失恋したのだろう。でも、しようがない、めそめそしていると言われても涙もろいのは事実だから。

「黄色い星の子供たち」と、時同じくしての同じテーマを扱っている。 フランスは自国の罪に対峙するこころが出来たのだろうか。 認めたくないことでも、きちんと向き合い、罪を認めることが次につながる・・・よく言われることだが、それは真実なのだろう。 日本では、なかなか実現しないことだが。

「黄色い星の子供たち」は、同時代の看護師の憤りがあった。  「サラの鍵」は、現代のジャーナリスト、そして、継承してきた人々の戸惑いがあった。 継承し、事実をすこしずつ知ることによって、苦痛が高まる。 同時代の苦しみには及びもつかないが、だから余計に切ない思いにとらわれてゆく。

ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス )に、夫、ベルトラン(フレデリック・ピエロ )が言う。  「真実を知って、誰かが幸せになったか? 世の中が良くなったのか?」 そんなことは在る筈がない。 真実を知って人は悲しみが増すだけだ。 しかし、知らないよりはマシだろう。 なぜか、世界がもう少しだけ広く見えれば優しさは増すだろうから。 知ることは代償を払うことだ。 心の傷みと言う代償だ。 そして傷みが増える分だけ優しさが増える。 その優しさは夫が示す優しさとは、確かに別のものだ。

ジュリアはパリで雑誌を作っているジャーナリスト、ペタン政権が実行したユダヤ人一斉逮捕についての記事を書き始めていた。 そのころ、夫が子ども時代住んでいた実家を改造して夫婦の新居にしようとしていたが、そこに住み始めたのが1942年8月からだと知って、気になったジュリアは以前誰が住んでいたかを調べる。 そこはユダヤ人家族、スタルジンスキ家の住まいだった。 

偶然の邂逅に、収容所で亡くなったスタジンスキ家の夫婦の記録はあるが、サラとミシェルの記録は無い。 二人はどうなったのだろう。  義父から衝撃の事実を知り、サラ・スタジンスキ(メリュジーヌ・マヤンス )の跡を追い続ける。 

映画の冒頭は、サラとミシェルが遊んでいるところ、 そして、一転、現代のパリ、ジュリアの仕事風景に・・・。1942年と2009年が交互に交錯してゆく。 サラが1942年の真実を調べてゆくに従い、身じろぎ、立ちすくみ、同時に、お腹のなかに宿った生命を大事にしたいとおもう。 そして、知ってしまったことを、もう、消すことはできない。


久しぶりのすばらしい映画だ。



映画「サラの鍵」(ジル・パケ=ブランネール監督 フランス 2010) 


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