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zoom RSS 村井康彦「出雲と大和」

<<   作成日時 : 2014/04/26 11:10   >>

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村井氏は邪馬台国が畿内、大和盆地にあったと推論する。 さらに大胆に、 邪馬台国は出雲系の氏族連合によって擁立された王朝だったと主張。  九州の豪族だった神武が東征、邪馬台国と戦い、神武優勢ながら邪馬台国にもまだ勝機があるうちに、邪馬台国は帰順、「国譲り」したという。 つまり、大和説だが、連続的に邪馬台国から大和朝廷につながるのではなく、非連続的だという立場だ。

その後、大和朝廷が制圧した。、尾張、越、吉備、などに進んだのは、そこが、邪馬台国の連合を形成した出雲系氏族がいたからだという推論だ。 景行天皇の息子、倭建命などが順々に制圧していったところだ。

神武が九州の豪族だったから、瓊々杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨が大和ではなく、高千穂となった。大和朝廷にとって出雲、大国主神の存在はあまりにも大きかったので、記紀の編集者も出雲を矮小化することはできなかったという。   

村井氏の推論は、たいへんおもしろい。 まったくの素人である私も、とても興味を感じる。 



記紀の時代の人名は覚えられない。漢字が読めないし、長すぎる。例えば饒速日命は、ニギハヤノミコトと読む。邪馬台国最後の国譲りを決めたリーダーで、優れた部下の長髄彦(ナガスネヒコ)有名人らしいが、3日もすれば忘れそうだ。






村井康彦「出雲と大和」(岩波新書2013.1.22)☆☆☆☆
序章 三輪山幻想
第一章 出雲王国論
第二章 邪馬台国の終焉
第三章 大和王権の確立
第四章 出雲国造
終章 再び惣社へ



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