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zoom RSS 山折哲雄「これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと」

<<   作成日時 : 2014/07/09 18:51   >>

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遠野物語の冒頭に、「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」とあるらしい。 その平地人を日本人に置き換えて題としている。

遠野物語は柳田国男34歳のときの著作、昭和37年87歳で亡くなるまでの彼の心の奥底を、山折氏自身の思想史も織り交ぜながら推察してゆく。東大政治学科卒業後、官僚となった柳田国男は、二宮尊徳ばりの農政事業や「有徳富国論」を夢見たのかもしれない。 ほどなく役人生活に見切りをつけ、朝日新聞社に転身、3年は自由に旅していいという結構な身分だったようだ。南方諸島から黒潮とともに北上した固有の文化は、日本の源流にもなっているらしい。司馬遼太郎も山折氏も、例えば「いじめ」もそのひとつという。 

山折氏は、アマルティア・センの「突然襲い来る困窮の危険」に通ずるものが、柳田国男「山の人生」にあるという。それは、「偉大なる人間苦」という言葉で、炭焼きのオヤジが直面する極度の貧困と飢餓を語っている。信仰よりも土着の生活を第一とする、行基、空也、一遍から、江戸末期のエタ・非人にいたるまでの、民衆の伝統的知恵を生かそうとしている。それは、福沢諭吉の殖産興業・富国強兵とは、真逆の志向だったかもしれない。

いままさに何回目かの富国強兵に進む日本、どこかおかしいと、柳田国男も感じているのだろう。。。。。


そのほかにも、興味深いはなしがあった。

富岡製糸工場の工女たちは、全国から集められた士族の娘で、エリート。 労働着として男はかま。  柳田は、木綿ではなく、衣と麻に戻ることを主張・・ガンディーは白い布とサンダルの身だしなみを手放すことはなかった

柳田国男が国際連盟の委任統治委員としてジュネーブに赴任した時期、フィレンツェの美術館でボッティチェルリをみて、桃太郎は水の神に連なるとひらめいた

秋祭りは収穫を祝い、冬祭りは山から神(ご先祖様)が降りてきて、里人たちの幸せと長寿を祝福する祭り。山から下りてくる神は、村民との交歓の結果、柔和な優しい翁になってゆく、その背後に「まれびと」をみるのが折口の議論







山折哲雄「これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと」( 新潮選書2014.3.30)
第一章 普遍化志向
第二章 平地人を戦慄せしめよ
第三章 偉大なる人間苦
第四章 折口信夫
第五章 二宮尊徳の思想
第六章 ジャーナリストの眼
第七章 「翁さび」の世界
終章 日本文化の源流



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