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zoom RSS ボリス・シリュルニク「憎むのでもなく、許すのでもなく」

<<   作成日時 : 2014/08/10 18:08   >>

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筆者5歳のとき、父親は対独戦に参加するも病院で逮捕される。 母親は一斉検挙で逮捕されるが、その直前に察知して筆者を孤児院に送る。 しかし結局6歳のとき、逮捕されてシナゴーグに集められる。 そこのトイレの天井に隠れたあと、看護婦の目配せで、病院に贈られる病気の女性の下に隠れ、逃亡することができた。

そのあと、食堂の大鍋の中や学校や、いろいろなところで、拒否されたり、助けられたりしたが、密告されれば死に直結する恐怖を抱えながら、フランスの田舎町で多くの人に助けられながら過ごした。 そして終戦。 

しかし、終戦になっても決して筆者の心にむしろ苦しみが増える。 「私の悲惨な子ども時代は、例外的な出来事だったのだ。 戦争中に話したのなら、私は殺されていただろう。 ところが平和な時代に話したら、今度は信じてもらえなかったのだ」というように、ボリス・シリュルニク氏は、ずっと沈黙を通した。 たまに逮捕や逃亡のときを話しても誰も信じなかった。 

精神科医となったシリュルニク氏は、自分の記憶を少しずつ検証してゆく。 そして、「愛情に恵まれなかった子どもは、相手の大人が微笑んでもいないのに、さらには相手が拒絶する場合でさえ、接近していく。大人を必要とするあまり、追い払われても、その人の近くから離れない。」 と、自分の生い立ちもクールに、客観的に、みつめていく。

それは、精神科医として、子どものトラウマを丹念に解説するような語り口でもある。 以下のような訳者のあとがきが、上手に要約している。 

「記憶は事実の断片であり、思い出はそれらを組み合わせていみを付与したものだ、というのが著者の解釈だ。そしての思い出は、自分に語りかける物語になる」
「物語によって希望を抱くことができなければ、われわれはトラウマに悩まされることになる」
「トラウマになる人とならない人との違いが、レジリエンスである」

そのほかにも、なかなか興味深い話が多い。

「愛情に恵まれて安心して育った子どもは、どんなことに直面しても、感情を制御する手段を持ち合わせている。それは言語化する能力だ。」

「私はこれまで、夢見ることによる快楽は、現実を直視する妨げになると考えてきた。だが今では、夢への逃避は自己を見つめる作業の代用になると思うようになった」

「神父は、「君の両親がそのようなひどい罰を受けたのは、よほどひどい過ちを犯したからだろう」と私に説いた。 やはり沈黙していたほうがよかったのだ」

「二三人程度の人間関係なら、誰かが困っていれば、手を差し伸べないわけにはいかない。しかし、匿名の関係、群衆や共同体の集まりの場合では、お荷物になる者を見捨てるのは当たり前だという雰囲気になる。ナチス時代の教科書には、次のような問題が掲げてあった。「生きる価値のない1人の精神薄弱者の介護にかかる費用は、若くて健全な三組の夫婦の居住費と同じであるとき、どのような判断を下すべきだろうか」

「社会的な不幸によって子どもの心が引き裂かれると、その子どもの生きるよろこびは失われる。そうした子どもは、自分の年齢に似合わない知的作業に逃げ込む場合がある」








ボリス・シリュルニク「憎むのでもなく、許すのでもなく」 ( 吉田書店2014.3.10)
第一章 ユダヤ人一斉検挙
第二章 悲痛な平和
第三章 耐え難い記憶
第四章 周囲からの影響
第五章 凍りついた言葉

"Sauve-toi la vie t'appelle, " (自分を救うのだ、人生が君を読んでいる)







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