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zoom RSS 辺見庸x佐高信「絶望という抵抗」

<<   作成日時 : 2015/05/15 15:09   >>

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辺見庸氏の絶望と怒りが伝わってくる。 私なりに解釈すれば、もう間に合わない、個として刺し違えるくらいの思いしか手がないという絶望だし、戦後民主主義の守り手と見えた知識人、文化人たちの覚悟のなさとあいも変わらぬやり方だ。

辺見庸氏は私の好きな作家のひとりだが、その激しさには、さすがの佐高氏もたじたじの感がある。 ただ、お二人は、現在の日本にほぼ絶望的な危機感を抱いていることは共通している。 

治安維持法と同じことである特定秘密保護法の成立も、集団的自衛権の閣議決定も、日本は大騒ぎにもならず、ああそうですかと静かに認めてしまっているかのようだ。 信じられないと。

たいして聡明でもなく知識もないであろう、安倍晋三氏が、祖父や自身の怨念を晴らすかのように、つぎつぎ手を打っている背景の情動は、ネット右翼やファシズムに共通するものだ。  太平洋戦争も15年戦争も、日本は物理的にも道義的にも敗北したということを忘れて、富国強兵に血道を挙げている。  そこを本当にどう考えているのだろうか、 たぶん何の展望もないのだろうと、両氏は推察している。  一方、日本会議は拡大成長を遂げ、いま大組織として、あらゆる分野にわたって戦後の歴史を書き換え、天皇制をよみがえらせ、嫌中・嫌韓を煽っていると、この組織を軽く見過ぎていたと悔やんでいるようだ。

杉浦明平氏にならっていえば、「官邸の私娼」など、安倍晋三氏の仲間たちのなかに、メディアの幹部もいるのだろう。 権力にこびて恥ずかしくないのかと憤る線は、とっくに超えているようだ。  いまメディアは揉める内容は掲載せず、ジャーナリズムの体を成していない。 いや、昔から日本のジャーナリズムに正義はないと。  したがって、いまや、辺見氏が本音を書く場所もない。 もう、狂っているとしか、いいようがないと、辺見氏は断じている。 

お二人には遠く及ばないが、おふたりの危機感は、私も感じる。社会の同調圧力には結構敏感なのだ。言葉が通じない、既成事実の積み重ねに抗することができない。言葉の嘘に抵抗する言葉が力をもたない。私も、現政権が作りだす社会の空気が息苦しくてならない。 



いくつかのメッセージもある。 

・ファシズムには哲学や論理の整合性はなく、基本形として何が残るのかと言うと、「情動」だ

・ヘイトスピーチというのは、実は安倍的な情動と溶け合うものがある。 屈辱と復讐、被害者意識と強迫観念のようなものが共鳴してしまう

・「祖国防衛戦争」が起きるかもしれない。 「愛国・救国戦線のような形で単純化し、「反戦」「非戦」は罪悪視され、理不尽なのは旧連合国側であるという、逆転した歴史観と構図をつくられている

・中国が好き嫌いの感覚を超えてそこにあり、なにかを生成しつつ絶えず変化しつつある巨大な事実

・むのたけじ氏「日本人にないのは希望でなく絶望だ」






辺見庸x佐高信「絶望という抵抗」(株式会社金曜日2014.12.11 )
第1章 戦後民主主義の終焉、そして人間が侮辱される社会へ
第2章 「心」と言い出す知識人とファシズムの到来
第3章 「根生い」のファシストに、個として闘えるか
第4章 日本浪漫派の復活とファシズムの源流
第5章 ジャーナリズムと恥
第6章 とるに足らない者の反逆
第7章 歴史の転覆を前にして徹底的な抵抗ができるか
第8章 絶望という抵抗


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