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zoom RSS アルボムッレ・スマナサーラ「執着の捨て方 「私」を手放して自由になる」

<<   作成日時 : 2015/06/02 14:37   >>

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ひさし振りに、スマナサーラ師の本。心の中にどうしても手放したくない欲があるから執着となり、悩み事になると言う。執着には、四種類あって、欲(物と心)、見解、儀式、我論への執着がある。

・欲(五欲)への執着・・・物(色・声・香・味・触)への依存・執着は生きるための必要量だけに。 受け止め、ほっておくことで、捨てられる。 具体的には、「アレは食べ物ではない」とか、「過去の自分は潔く捨てる」とか、「義務を果たしたら仕事もそこそこに」とか、「こどもにすべきことはすべてした」から子どもに執着しないとか、悲しいことは「自分の管轄外」と考えるとか、人付き合いは、「その場かぎりの紙コップ」のように付き合うか、生命同士として人間への執着を捨てるとか、勉強した知識は人に与えてとか、自分の外見はきにするなとか・・・

・見解・意見への執着・・・自分の意見と自分は違う。意見が否定されても自分が否定されるのではない。意見は日々変わるし、執着に値するものは何一つない。経験や自分の意見にしがみつかず、日々更新してゆく。

・儀式・儀礼への執着・・・習慣、しきたりは選択的に。宗教儀式を筆頭に、意味もなく何かをやり続けない。全ては無常、すべては想定外と気づくこと。

・我論への執着・・・最強の執着は、自分。「「私」と思いこんでいるものは、じつはすべて無常で変化し続けているもので、実体がないのです。」 わたしが存在するかどうかも怪しい。

・すべての執着を捨てるのが、ありのままに観察すると言う実践、つまり、ヴィパッサナー瞑想(遠離)。
スマナサーラ師の話はわかりやすいし、実践がしやすいのだが、久しぶりのせいか、この本はちょっとむずかしい。 仏教は宗教ではなく科学だと言うのが師の主張でもあるから、宗教に執着するなというところがおもしろい。


アルボムッレ・スマナサーラ「執着の捨て方 「私」を手放して自由になる」( 大和書房2014.11.30)
はじめに 「遠離」 執着を手放して本当の自由を手に入れる


序章 「執着」の捨て方
第1章 「物」と「心」を捨てる
第2章 「意見」を捨てる
第3章 「儀式」を捨てる
第4章 「我論」を捨てる

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