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zoom RSS 笠原十九司「南京事件」

<<   作成日時 : 2015/10/01 16:22   >>

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筆者の笠原氏は中国近現代史を専門とする歴史学者。 憲法学者より自身の憲法解釈を正しいと思う安倍政権の政治家たちなら、歴史学者が淡々と資料を提示してまとめた、この内容を、そんな事件はなかったと簡単に否定できるのだろうか。

まとめてしまうより、印象に残ったものを書いてゆく方がよさそうだ。 

不遇で挽回する最後のチャンスだった中支那方面軍司令官松井石根大将と、参謀本部と前線を兼任して戦線拡大を図った武藤章大佐は、それぞれ、中央の統制・命令を無視して南京に雪崩れ込んでゆく。 それを統制できないばかりか、結局、 「現地軍の中央命令無視、独断専行による侵略戦争の拡大を、天皇が追認して鼓舞、激励するという構図がここにある

松井の下で、上海派遣軍は、予備役など寄せ集めで上海居留民の保護が主たる使命だったのに、激しい上海戦で消耗し、日本に帰れるかと思ったら、南京攻略を命じられる。  当然、不満と憤りに満ちていた。  また、この組織には兵站も法務もなかった。 兵站が無いから、南京までの途上も、食糧は現地調達、つまり、農村の家から略奪するしかなく、同時に、放火・暴行・虐殺・強姦を繰り返していった。 性的蛮行などをしても、統制する人間はいなかったし、憲兵もいないし、上官も見て見ぬふりだ。


蒋介石下の南京防備軍のトップも松井と同様、経験も少なく資質もなかった。撤退の遅れ、長江を背にして敗走を押しとどめた作戦がより多くの犠牲を生んだ。
200頁ほどの解説を読み進めるだけで、気持ち悪さ、胸苦しさを覚える蛮行の数々だ。当時の南京にはドイツ企業のビジネスマン、アメリカのジャーナリストなど多くの外国人目撃者がいて、記録を公開している。多くの資料や生存者の証言、そして、実行した兵士自身の証言もあって、どうして、日本の歴史修正主義者たちは、南京事件などなかったといえるのだろうか。


武装蜂起した敗残兵と民間人との区別がつかないまま、敗残兵として虐殺してゆくこと、捕虜になれば殺さないと言って投降させながら殺す、これらは明らかな国際法違反、ハーグ条約違反だから、虐殺の理由にならないのだ。はじめから兵站も用意していないから、捕虜に食わせる食料はない、だから捕虜は採らないというのが方針だった。 更に酷いのは、松井の自己満足のため12/17の入城式を無理やり実施させたので、敗残兵殲滅に拍車がかかったことだ。 

いつか、歴史修正主義者の言い分も読んでみよう。

今年ももうすぐ、南京事件の日が近づく。 おそらく中国では記念日として反日の機運が高まり、日本では、そんな事件なかったという論調が強まるのだろう。 



その他に印象に残ったもの ・・・

・「このときの松井の最大関心事は、日本の朝野が注視するであろう南京入城式を一日も早く挙行することであって、空文化されている「南京城の攻略および入城に関する注意事項」の遵守を厳命したり、入城した日本軍の戦闘態勢を再整理して、すみやかに戦闘段階から占領統治段階に切り換えるための措置をとるという、本来の司令官が実施すべき施策にはなかった」

・「スティール記者のいう「便衣兵容疑者」の殺戮が、民間人の犠牲を大きくした」・・・「上海戦においては市民や学生も抗日戦に参加し、そのような「便衣兵」や「便衣隊」が存在したが、南京においては、そうした民衆の側の武装組織はなかった」

・「南京攻略戦に参加した元兵士が残虐行為を証言したり、それらを記録した陣中日記を公表したりすると、戦友会や右翼勢力から証言封じの圧力が加えられることも日本側の資料が少ない原因になっている」




笠原十九司(とくし)「南京事件」(岩波新書1997.11.20)
序 何がどう裁かれたのか 東京裁判と南京軍事法廷
T 南京渡洋爆撃の衝撃
U 上海派遣軍、独断で南京へ向かう
V 近郊農村で何が起きたか 波状進軍がもたらした被害
W 南京陥落 徹底した包囲殲滅線
X 「残敵掃蕩」の実相 南京難民区国際委員会の記録
Y 事件の全貌、そして国際的影響を考える
結びにかえて いま問われているのは何か


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