Dora_PaPa_san's_Pages

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画「顔のないヒトラーたち」で知る日本の異質さ

<<   作成日時 : 2015/11/08 15:34   >>

トラックバック 0 / コメント 0

戦争に参加しただけの兵士を裁けるのか・・・もう昔のことは忘れたい・・・寝た子をなぜ起こすのか・・・どうして小物ばかり狙うのか・・・もう皆忘れたいのだ・・・・なぜ自国の恥をさらすのか・・・国民みんな裁くのか・・・・確かに、戦争中、ナチ党員にならなければ生きていけなかったこともあろう。 そこでごく普通に命令に従っていただけかもしれない人々を裁けるのか。 

何も事実を知らなければ、検事正が反対するように、裁判は難しいし、戦時中の兵士の行動をさばけるのかという疑問になる。 しかし、アウシュビッツで起こったことを知れば、明らかな犯罪の事実があるとわかる。 はじめ検事正と同様に、ラドマン検事の行動をバカらしいと語っていたハラー検事が、事実を知るに従い、 この事実をドイツ国民は知らなければならない、そのための逮捕・起訴・裁判なのだと、理解するようになる。 

しかし、1958年になるまで、ドイツ社会はアウシュビッツのことなど語らない、知らない人ばかりだと、驚くべき事実を知った。  日本と違って、ドイツは、戦後すぐに、何があったのかを検証し、自国で自国の犯罪を裁いたのだと勝手に勘違いしていた。 こんなに、ひとりのジャーナリストと、ひとりの正義感にあふれた若い検事と、それを助けるユダヤ人の検事総長がいなかったら、アウシュビッツの事実など、闇から闇に葬られたかもしれない。

しかし、日本には、ただひとりの、ジャーナリストも、正義感あふれた検事も、検事総長も、あらわれなかったのだろう。  やはり、日本は異質なのだろう。 

バウアー検事総長、ラドマン検事とグニルカ記者は、自分たちの行動の動機、目的を、「ドイツの歴史を変える」、「被害者と記憶のために」、「嘘と沈黙は、おしまいだ」と。。。

ドイツ自身が、いまではごく普通の市民として生活しているアウシュビッツの監督たちを裁くことが、こんなに困難なことだったと言うのは、驚きだった。  日本ができないわけだ。  こんな検事総長も検事もいるはずがない
 


映画「顔のないヒトラーたち」(ジュリオ・リッチャレッリ監督 ”IM LABYRINTH DES SCHWEIGENS (LABYRINTH OF LIES)” 2014)




オフィシャル・サイト
http://kaononai.com/



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
映画「顔のないヒトラーたち」で知る日本の異質さ Dora_PaPa_san's_Pages/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる