Dora_PaPa_san's_Pages

アクセスカウンタ

zoom RSS 若松英輔「魂にふれる 大震災と、生きている死者」

<<   作成日時 : 2016/08/15 18:58   >>

トラックバック 0 / コメント 0

「大震災と、生きている死者」と副題がついていて、そこに期待したのだけれども、あまり震災の死者についての文章はなかった。 震災後、被災地では、死者を見かける話が多く、たいへん興味をもっていた。 興味本位で不謹慎といわれそうであるけれども。


しかし、本書は、まったく、そういう話ではない。 死者と共に在る哲学、死者とは何かについて、多くの哲学者、思想家の語る死者を追い掛けている。  上原専琭;、フランクル、井筒俊彦、池田晶子、リルケ、小林秀雄、柳田国男、鈴木大拙、西田幾多郎、田辺元、神谷美恵子・・・・・など、錚々たるメンバーである。 


池田晶子の言説が典型的である。

「死者
 死体の謂ではない
 生存ではない存在形式において存在する者
 つまり異界の者
 の思い為すこと、それが物語である。」

つまり、死者は実在する。


「死者と共にあるということは、思い出を忘れないように毎日を過ごすことではなく、むしろ、その人物と共に今を生きるということではないだろうか」 

それだけではない。 死者はもっと大きな存在だ。

「死者に思われて生者は生きている。
 したがって、生存とはそのような物語なのである」

「先立つことは、おそらく人間が行い得る、もつとも貴い愛の表現である。それは残された生者への永遠の愛を誓うことに等しい」

「死者を探してはならない。 私たちが探すのは、自分が見たいと思う方角にすぎない。おそらく、そこに死者はいない。ただ語ることを止め、静かに佇んでみる。 すると、あなたを思う不可視な「隣人」の存在に気がつくだろう」




若松英輔「魂にふれる 大震災と、生きている死者」(トランスビュー 2012.3.5)
悲しむ生者と寄り添う死者
悲哀の扉を開く
協同する不可視な「隣人」
死者と生きる
1. 死者に思われて生きる
2. コトバとココロ
3. 没後に出会うということ
4. 冥府の青
5. 先祖になる
6. 悲嘆する仏教者
7. 死者の哲学の誕生
「うつわ」としての私
魂にふれる

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
若松英輔「魂にふれる 大震災と、生きている死者」 Dora_PaPa_san's_Pages/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる