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zoom RSS 頭木弘樹「絶望読書」・・絶望のときには、それにふさわしい物語がある

<<   作成日時 : 2016/08/30 08:39   >>

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筆者のプロフィールには文学紹介者とあり、カフカの訳本・紹介本もある。  難病で入退院を繰り返し、絶望的だった時期に救ってくれたのは、ドストエフスキーなどの本だったという。 絶望的な時期は、あまり明るくすぐ立ち直りを促すようなものでなく、絶望に浸って共感を得られるものがいい。 「悲しいときには悲しい音楽を聴く方がいい」(アリストテレスの同質効果)ので、すぐ立ち直ったかと見えても、そこに無理があれば後になって、「遅延化された悲嘆」が起こるのだ。 

筆者が勧めるのは、本だけではない。 映画やドラマ、落語でもいいと、いう。  桂米朝の「地獄八景亡者戯」、映画の「愛すれど心さびしく」・・・などだ。

頭木氏が勧める本には、いろいろ含蓄のある言葉がある。 

・「人生はクローズアップで見れば悲劇 ロングショットで見れば喜劇」 (チャプリン)
・「どの程度まで苦悶しているのか、他人には決してわかるもんじゃない。だって、他人は他人であって僕ではないから。それに、人間というやつはあまり他人を苦悩者として認めるのを喜ばないものなのだ」(ドストエフスキー)
・「みんな勝つのはいいことだと聞かされてきた。だが、私は言いたい、敗けるのもいいことなのだと」(ウォルト・ホイツトマン)
・「ライオンにまだ名前が与えられていなかったとき、それはもっと恐ろしい怪物だった」(トーマス・マン)
・「幸福な家庭はすべて似ているが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(トルストイ)
・「将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。
  将来に向かってつまずくこと、これはできます。
・「生きることはねたえずわき道にそれていくことだ。
  本当はどこに向かうはずだったのか
  振り返ってみることさえ許されない」 (カフカ)
・「ユーモアのなかには常に苦痛が隠されている。 それだからこそユーモアには共感というものがあるのである」(キルケゴール)
・「今が最悪の状態、と言える間は、まだ最悪の状態ではない」(シェイクスピア)





頭木弘樹「絶望読書」(飛鳥新社2016.5.14)
第一部 絶望の「時」をどう過ごすか
第一章 なぜ絶望の本が必要なのか
第二章 絶かしら望したときには、まず絶望の本がいい
第三章 すぐに立ち直ろうとするのはよくない
第四章 絶望は人を孤独にする
第五章 絶望したときに本なんか読んでいられるのか
第六章 ネガティブも必要で、それは文学のなかにある

第二部 さまざまな絶望に、それぞれの物語を
・太宰治と一緒に「待つ」
・カフカといっしょに「倒れたままでいる」
・ドストエフスキーといっしょに「地下室にこもる」
・金子みすずといっしょに「さびしいとき」を過ごす
・桂米朝といっしょに「地獄」をめぐる
・ばしゃ馬さんとビッグマウスといっしょに「夢をあきらめる」
・マッカラーズといっしょに「愛すれど心さびしく」
・向田邦子といっしょに「家族熱」
・山田太一といっしょに「生きるかなしみ」と向き合う
・番外・絶望しているときに読んではいけない本





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