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zoom RSS 伊藤智永「忘却された支配」

<<   作成日時 : 2016/11/01 10:54   >>

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久しぶりに読みでのある良い本に出会えた。 いま世界で問題になっているテロリズムも、元はといえば植民地支配の後遺症だと筆者は言う。 戦争の記憶は日本では懐旧、愛惜、被害者の記憶でしかなく戦争責任が限定的だが、植民地の記憶にまで広げれば、植民地支配の責任を思い出さざるを得ない。 

「植民地の人々から独立戦争の銃口を向けられる「真っ当な」脱植民地化を経験しなかった。 他人任せにしてすり抜けたようなものだ。 こうして、フィクションから覚醒する機会を逸したまま、漫然と70年が過ぎた」 

「本当に何の記憶も無いのなら、それは忘却ですらない。 しかし、実際は記憶していた。 半ば意識しながら、残り半ばは多分さしたる意思もなく、記憶をしまいこみ、思い出そうとしなかったのだ。植民地の記憶は、台湾・朝鮮半島にだけでなく、日本国内のそこかしこにあったのに」 


この本は、そこかしこの記憶をたどる人々の記録を毎日新聞で掲載したものをまとめたものだ。 

・ 山口県宇部海底の長生炭鉱で1942年2月落盤事故が起こり、183人を中に残したまま坑口を塞いでしまった。犠牲者の7割が朝鮮人だった。 1982年、旧炭鉱関係者と地元の人々が殉難碑を建立し慰霊祭を開いた。ところが、朝鮮人労働者遺族に声はかからなかった ・・・・・・

・ 猿払村の飛行場建設工事のタコ部屋が多い。夕張炭鉱では300人の中国人が居た。「中国人の強制連行は、日米開戦の約一年後、産業界の要請で日本政府が「内地移入」を閣議決定し、44年2月から本格化した。 

・ 麻生太郎氏の地元、筑豊の炭鉱で朝鮮人労働者のための慰霊施設、無窮花堂を建立した人びとの努力と、飯塚市が追悼碑を共同で建立するに際して、認めたこと
   1. 強制連行により朝鮮人など外国人が過酷な労働を強いられ亡くなった事実を認める
   2. こうした歴史的事実を後世に残す必要があると認識する
   3. 市営霊園の一画を国際交流広場として無償で貸し付け
しかし、最近、日本会議系からの攻撃が激しいらしい



・ 紀和町の鉱山で亡くなった英兵捕虜16人は派化が文化財に指定され追悼式も毎年行われているのに、35人が犠牲になった朝鮮人には誰からも顧みられていなかった


・ 映画でも話題になった卓キョンヒン氏は特攻出撃前にありランを謳い、日本国に忠誠をつくし、日本精神を見事に体現した模範的朝鮮人として顕彰されている。しかし、親しい人には「母の貧窮、朝鮮人に対する内地人の不当な侮蔑と非常識な横暴」涙ながらに訴えていたらしい。 アリランは抵抗歌の側面もあって望郷の歌と思うのは日本人の勝手な思いかもしれない。 

「「純粋な思い」という精神の作用によって、特攻の社会的意味、植民地支配の歴史的評価が、無垢なものに漂白されるなどということは起きはしない。なのに戦後日本社会は、なぜか「至純」を持ち出せば、社会性や歴史性も素通りできるものと無邪気に決め込んで来た」

「知覧特攻平和会館の敷地にある「アリランの鎮魂歌碑」は、こうした経緯と無関係に日本人篤志家の寄付で作られた。 遺族の同意はなく、日本側の「思い」だけが形になった。厳しく言えば、独りよがりということになる。日本社会は今日、戦争の思い出し方で「気持ちの純粋さ」を競い合う世相である。特攻の語られ方も、感動以外の対話はなかなか受け付けられない」



・ 「東学党の乱」は、今日「第二次東学農民戦争」「甲午農民戦争」と呼ばれるが、規模や意義をできるだけ小さく見せたかった日本側の言い換え。参加者は全体で数十万人、死者は少なくとも五万人と日清戦争よりも多く、全土の半分で一斉蜂起する大規模戦争だった

「「日本の朝鮮統治は欧米の植民地支配とは異なる」とか「初代統官の伊藤博文は、武断派の軍人たちと違って文治派の平和主義者だった」と言った主張は今も根強い。 だが、討伐部隊の編成と派遣は、[・・・] 伊藤博文首相らが決断した国政の最高意思決定であった。 討伐部隊の「皆殺し」作戦は、後の日本軍にありがちな現地軍の独断暴走ではなく、大本営が現地司令部に命じた軍統帥の基本方針であった」




これらの各地で拾われた植民地支配の記憶には、かならず、「強制連行」なのか、「同じ日本人」だったのか、というテーマがついてまわる。 

「強制連行」と言う言葉は、慰安婦問題で、さんざん攻撃された。 私には、慰安婦問題はなかったと言いたい人々が「強制連行」をひどく狭い意味、暴力的な連行、と言う意味で使おうとしているように見える。  この本では、「強制連行」を、広い、普通の意味で使用している。  

強制連行の歴史・・・

・38.4 国家総動員法公布 朝鮮人労働者80万人、軍人軍属36万人動員
・39.9 〜 募集 ・・・ 政府が割当人数を決め、企業が指定地域の行政や警察の支援で頭数をそろえ、集団で内地に連れ帰った 40年には過酷さが知られて集まらなくなり、強制と警察が強圧的に集めた
・42.2 〜 朝鮮総督府が動員を受け持つ官斡旋となって、志願報告の実態は、不意打的人質的略奪的拉致、
・44.9 〜 徴用 法律に基づく強制連行

経緯は上記のようなものだが、実態はこうだ

「確かに「強制連行」という名称ではなかったが、国の施策に基づき、県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、同社(石原産業)が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係の証言によると、朝鮮では総督府や割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」か非公式の金を100円ずつ渡す慣わしで、渡すと警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。

「行かされる人間は区長が選んだ。 令状はなく、ただ行けと連絡だけしてきた。 むなしかった。 何か言って、どういうことになるか恐ろしい」」

「自分の足で警察署に出向き、列車と船に乗った。 でも、自分の意志だったのではない。 支配していた国の計画、「官斡旋の徴用」に従うしかなかった。 たとえ物理的な暴力が行使されていなくても、嫌とは言えない権力制度によって引き立てられた。 それが、支配だ」


いま、慰安婦問題の日韓合意を契機に、記憶を終わりにしようという動きが強い。


「安倍晋三首相は戦後70年談話で「家族を失った方々の悲しみ、・・・苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはない」と言う。それでいて「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも言う。

そうなのか。 「歴史とは原題と過去との不断の対話」であるなら、問い直しに終わりは来ない」

安倍晋三氏の願望は、「支配され、強制された」側にすれば、虫がよすぎる上に、お門違いだろう」

もともと、外務省と大蔵省の外交方針は、、「朝鮮統治は植民地支配ではなかった。 日本人の海外活動は帝国主義的発展史ではなく、国家あるいは民族の侵略史でもない。 固有の経済行為であり、文化活動であった。 開発に資金を投入し、経済的、社会的、文化的向上と近代化はもっぱら日本側の貢献によるものである。謝罪どころか、感謝されていい」であり、誰もそれを咎めなければ、この考え方が一般化してゆくのだろう。




伊藤智永「忘却された支配」(岩波そこかしこ書店 2016.7.21)
第1章 強制を思い出す 宇部
第2章 骨と碑の戦後史1  北海道
第3章 骨と碑の戦後史2 筑豊
第4章 追悼と謝罪の間 紀州
第5章 朝鮮人の特攻  知覧・万世
第6章 朝鮮ジェノサイド  四国
第7章 総督府官僚たち














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