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zoom RSS アトゥール・ガワンデ「死すべき定め」

<<   作成日時 : 2017/01/02 19:20   >>

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最期の時をどう迎えるのか、その患者に対して医師としてはどう対処すべきなのか、筆者の父親も含めた数人の実例について迷いながらの考察を続けている。 なんとも重く辛い話が続く。 

結論めいたものは特にないが、自分がどのような最期を迎えたいか、それを明確にしかるべき人に伝えておくべきだ。 筆者の父親も、痛みや苦しむことを避け、自宅で最期を迎えるために無理な延命は望まなかった。 それでも家族にしてみればとっさの判断に迷う。 家族にも受け入れる心の準備が必要で、後悔を恐れて、つい過剰な延命措置に傾いてしまうからだ。 

いくつかの事例では、米国の仕組みとして、家庭でのホスピスのサービスがうまく活用されている。 昔の日本の老人病院のようなナーシング・ホームに対して、自由やプライバシーを尊重するアシステッド・リビングを開発した人々の努力も解説されている。  日本ではどうなのだろう。 母親を老人病院のようなところで最期を迎えさせてしまって、ひどく罪悪感を感じ続けている私には、どの制度でも、不安がぬぐえない。 


最期を迎える遥か前であっても、老人の優先順位は変わってくる。
「成人期も半ばをすぎると、優先順位は劇的に変わる。たいていの人は社会的な成功や人間関係にかける時間と努力を減らす。世界を狭めていく。自由に選べるなら、若者は見知らぬ人と、いわば兄弟のようにして時間を過ごすことをこのむ−老人は反対である」

しかし、最期を迎える人を支える家族にとっては、「人は自分には自律を求めるのに、大切な人には安全を求める」。これは虚弱になった人にとって主要な問題であり、矛盾である」

安全を追求すると、ちょっとした自由も、小さなリスクも許さなくなってしまう。 

しかし、ほんのちょっとしたことでよい。 それが、「入所者に世話が必要な生き物を与えること」であったり、「自分で閉められるドアと自分だけのキッチンを与えること」であったりする。   インコの世話だけでも大きく変わるのだ。 大げさに言えば、「依存状態にある人が生きる価値を保てるように援助すること」である。 



いずれにしても、医師との会話が重要だ。

 「最期について自分の嗜好を主治医と十分な話し合いをした患者は、そうしなかった患者よりも平穏に死を迎え、状況をコントロールでき、遺族にも苦痛を起こさない可能性がはるかに高いのだ」

医師と患者の関係には、家父長的な関係、情報提供的な関係とならんで、解釈的な関係がある。 人は情報とコントロールを欲しがるが、助言もほしいので、解釈的な関係(ちょっと言葉は悪い)がよい。

「医師が恐れる医療ミスはもっと治療すべきだったところを、早めに諦めてしまうことだからだ。一方、ほとんどの人は別方向から見た同じように恐れるべき失敗の可能性には注意を払わない―すなわち、もっと治療することでその人の生活をもっと悲惨なものにしてしまうことである」

事実を隠さない厳しい会話は、最終的には、良い結果をもたらすといえそうだ。

「老いと病にあっては、少なくとも二種類の勇気が必要である。 一つ目は、死すべき定めという現実に向き合う勇気だ―何を恐れ、何に望みを持つかについての真実を探し求める勇気である。 この勇気は難しく、持てないのも当然だ。 真実から目を背け対理由はいくらでもある。 しかし、さらにもっと厳しいのは二つ目の勇気だ―得た真実に則って行動する勇気である」

そして、この言葉が印象的だ。

「最期のとき、人は自分の人生を単なる瞬間・瞬間の平均と見ることはしない―いろいろ言ってみても結局のところ、ほとんどの人生にはたいしたことは起こらず、ただ眠気を誘うだけのものだ。人間にとって人生が意味を持ちうるのは、それが一つのストーリーだからである」









アトゥール・ガワンデ「死すべき定め」(みすず書房 2016.6.24)
1. 自立した自己
2. 形あるものは崩れ落ちる
3. 依存
4. 援助
5. よりよい生活
6. 定めに任せる
7. 厳しい会話
8. 勇気


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