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zoom RSS 伊藤桂一「静かなノモンハン」国民必読の書

<<   作成日時 : 2017/01/29 18:50   >>

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以前、司馬遼太郎氏はノモンハンの資料を集めているが、書きたくても書けないと語っていたように記憶している。 ここに掲載されている対談でも、ノモンハンの戦闘が、日本軍のいかにひどい面を見せていたか語っている。 

伊藤桂一氏は、ノモンハンの戦闘を語るに、旭川に生存していた三人の体験者の記憶を引き出していた。 兵卒、衛生兵、小隊長という、それぞれ異なる立場ながら、よくぞ、あの戦いで生き残ったものだと、感心する。 伊藤氏の語り口は、体験者の言葉を淡々と記しているから、たいへんな抑えたものになっている。 あんな体験をしてもそれでも、また戦いの場に自ら進んでいこうと殊勝な内容で、司馬氏が非難するような大隊長や参謀に対する怒りなど、ほとんど発しない。 小隊長のみが、なぜ、何の補給もなく、ほったらかしたのかと疑問を呈している。

まず何のための戦いなのか。 ノモンハンの陣地の死守が、これほどの死者を出すほどの価値があるのか。 あるわけない。 参謀や高級軍人がみずからの経歴に傷をつけたくなかっただけだろう。 幹部たちは、敵の事情も知らない。 ソ連軍など、日露戦争当時のロシア軍と同程度だろうとタカをくくっている。 そして、その火力や兵力の実態を知ろうともせず、死守せよと後方で命令するだけだ。 圧倒的な数の戦車と兵力に対して、弾薬の補給もなく、食糧や水もなく、小銃と帯剣とサイダー瓶で作った火炎瓶で闘う。 ある隊は850名の兵隊があっという間に36名まで減ってしまった。 それでも後方之参謀は攻撃せよと命令し続けたらしい。

ノモンハンの生き残りは、その後、かん口令が惹かれ、日中戦争や太平洋戦争のなかで、死ぬ公算の高い戦地に追いやられる傾向があったという。  

小隊長の言葉・・・「弾薬のみでなく、動員された兵力の大半を失い、弾薬食糧の尽きたあとは、帯剣のみで戦車と戦わねばならぬような事態に立ち到りながらも、なぜ、兵員の補充はおろか、弾薬や食糧の補充さえなかったのか、なんの理由で、一兵残らず砂に屍を埋めさせようとしたのか―を、鬱勃として湧きあがる、憤りをまじえた疑問として、いつまでも考えざるを得なかったのです。」




伊藤桂一「静かなノモンハン」(講談社文芸文庫2005.7.10)
所の章 草原での戦い
一の章 あの稜線へ 鈴木上等兵の場合
二の章 小指の持つ意味 小野寺衛生伍長の場合
三の章 背嚢が呼ぶ 鳥居少尉の場合
対談 司馬遼太郎 x 伊藤桂一
解説


<草原での戦い>

<あの稜線へ>
鈴木上等兵は初の出陣。 何も隠れるところのない日本軍は爆弾の穴に隠れながら進むしかない。圧倒的火力の差がありなから、撤退命令もなく稜線を越えよとの進撃命令がくる。 結局左肩から脇に抜ける銃弾を浴び、出血と片手しか効かないなか、なんとか名ばかりの野戦病院までたどりつく。また回復したら復帰しなければと思いつつ・・・

<小指の持つ意味>
騎兵から衛生兵になって行った小野田伍長は、全滅寸前の中隊に潜入し、死傷者の手当てをしつづけた。 玉砕するので大隊に報告に戻ってくれと命令されて、不思に戻ることができた。 大隊長は、彼らを救うと言って、死地に行くと決意し、小野田伍長も喜んで同行した。 地獄のような戦闘となる。 武器弾薬に乏しい、徒手空拳で戦車に向かってゆく戦いだ。 850名はいた大隊があっという間に36名になってしまった。死者の小指を切断し認識票といっしょに集めようという合意も実行できなくなる。 ・・・

「私たちは、あの時、小指だけを持ちあっても―と、絶望感の中でいい合ったのですが、小指だけが、私たちを絶望の中から救済してくれる役目を、果たしてくれたはずなのです」

<背嚢が呼ぶ>
対戦車の速射砲の小隊長鳥居少尉は、大隊長が速射砲のことも知らずに命令することに我慢がならない。退却時も置き去りにされたし、玉砕を覚悟して携行食料を食べたことを責められる。 攻撃するためには稜線に出なくてはならず、それをすれば攻撃する前に全員死ぬことが必至なのにそれを大隊長は理解しない・・・

白旗を掲げて戦車から降りてくる敵の兵隊を撃って倒した。 弾薬や糧秣さえ満足に運べない部隊だから、「気が咎めながらも、そうするより仕方はないのです」

<司馬>

「ノモンハンの生き残りは、のちのちまでなるべく死亡の公算の高い戦場へ送られたということと、ノモンハンについてあまり口外するなといわれていた」

辻正信は・・・「驚くことに、あれだけノモンハンでは戦車にやられたのに戦車の知識が実にとぼしい」・・・「日本の高級軍人というのは、軍事そのものがわからなかったですな。彼らにあるのは、官僚としての出世だけだったのでしょうか」

高文試験を通れば上に行く官僚制度と統帥権によって、「国家と国民の運命を左右する外交問題と、戦争を含む外交問題を、東京の参謀本部の課長、つまり大佐以下の人間が決める感じ、関東軍であれば、少佐程度が決める感じだった」



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