Dora_PaPa_san's_Pages

アクセスカウンタ

zoom RSS 内藤朝雄「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」

<<   作成日時 : 2017/04/25 09:20   >>

トラックバック 0 / コメント 0

そんなに難しいことを言っているわけではない、はずだが、モデリングは抽象化であるので、言葉遣いのために理解しにくい。 簡単に言えば、市民社会(のルール)と異なる群生社会の規範が強い環境では、潜在的な人間の怪物性が眼が覚める、ということだ。 

だから、学校に市民社会のルールをストレートに導入すれば、(例えば警察力を導入する)環境が変わり、どっちが得か、損得勘定を考えながら、怪物性が減じられるはずだ。 

いじめは学校という閉鎖社会で行われているが、学校に限らない。 国家ではない、中間集団全体主義と筆者が呼ぶ組織、例えば隣組でも起こる。 


筆者のモデリングとその説明は、ちょっと理解しかねるが、いじめ当事者の心情は興味深い。 

「多くのいじめは、集団のなかのこすっからい利害計算と、他人を思いどおりにすることを求めるねばネバした情念に貫かれている。この情念の正体は、他人をコントロールするかたちを用いた、全能気分の執拗な追求である」

「ケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって、思いどおりにならないはずの他者を思いどおりに「する」ことが好きでたまらない人たちがいる。 このタイプの情熱は、容易に、いじめに転化する」

「集団生活のなかで「タフ」がしみついた者は、不幸の平等主義に対する違反には敏感になる。苦労して「タフ」になってきた者は、苦労をともにしあうことなく世間に対してうまく自他境界を引くことに成功して幸福そうに見える者を目の当たりにしただけで、被害感と憎悪でいっぱいになる。 そしてチャンスがあれば、痛めつけてやろうと思う」

「人間を「すなお」に「しつけ」るためには、予測可能な仕方で、上位者や「みんな」の気分次第で恣意的に「痛めつけ」るほうが、理にかなっている」・・・「学校は、このような「こころがとけあう」群生秩序の社会に順応させるという教育目標からは、(中略) 旧陸軍内務班と同様、実に「理にかなった」教育空間となっている」

「学校に集められた若い人たちは、少なくともそれだけでは赤の他人であるにもかかわらず、深いきずなで結ばれているかのようなふりをしなければならない。 学校では「みんな」と「仲良く」し、その学校の「みんな」のきずなをアイデンティティとして生きることが無理強いされる」

「こういう権勢欲の人たちは、自分が苦労して牛耳った集団のノリのなかで浮き上がったまま堂々としている個人を見ると攻撃せずにはいられない。

「自由な社会では、攻撃することは許されないが、嫌悪を感じる者とのあいだに距離を取る権利が保障されている」





内藤朝雄「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」(講談社現代新書2009.3.20)
第1章 「自分たちなり」の小社会
第2章 いじめの秩序のメカニズム
第3章 「癒し」としてのいじめ
第4章 利害と全能の政治空間
第5章 学校制度がおよぼす効果
第6章 あらたな教育制度
第7章 中間集団全体主義

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
内藤朝雄「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」 Dora_PaPa_san's_Pages/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる