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zoom RSS 山崎雅弘「「天皇機関説」事件」

<<   作成日時 : 2017/07/31 10:44   >>

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自民党改憲草案を作るにあたって、片山さつき氏は、日本にはなじまないと考えたかどうか知らぬが、天賦人権説を採らなかったという。  まるで中学生のようにケネディの演説の「国のために何ができるか」を好んで、個人主義を制限したかったようだ。 ケネディだって憲法は変えないだろうに。 

戦略特区不当選定問題で渦中の萩生田光一氏は、安保法制論議はなやかなりしころ、立憲主義など聞いたことがないと確か語っていた。 

美しい国、つまりは、国体としての幻想の日本を愛する安倍晋三氏の周りは、個人主義、自由主義、立憲主義を嫌う人々が勢ぞろいしている。 ちようど、30年代、美濃部達吉氏の天皇機関説を攻撃して、日本を奈落の底に落とす道を作った人々の思考に似ている様に思えてならない。

美濃部達吉氏と彼の先輩の一木氏が主張し始めた天皇機関説は、天皇法人説を土台にして、立憲主義と天皇制をつなげる知恵と言ってよかったもので、天皇機関説を排撃する蓑田胸喜氏らの主張のほうが明らかに不合理で非論理的であった。 しかし、蓑田氏や、貴族院議員で執拗に美濃部氏を攻撃した菊地武夫氏らは天皇主権と「国体」明徴を口実に攻撃しつづける。

彼らの言葉は、こんな言葉だ。

「我が国で憲法上、統治の主体が天皇にあるのではないということを断然公言するような学者や著者というものが、司法の上から許されるべきものでしょうか。 これは緩慢なる謀反」

「欧米追随の態度を久しく続けて来た在来の不見識をやめ、皇道日本精神に基づき一切の改造改革を行わねばならない」

「畏れ多くも天壌無窮に渡らせられるところの天皇さまの大権に対して、いささかの疑念も起こるはずがない」

・・・・ つまり、日本は西洋の真似をせず、日本精神で、と言いたいのだ。

蓑田氏らが、天皇機関説に名を借りて、本当に攻撃したかったのは、個人主義と自由主義の思想だった。 個人主義と自由主義は、日本の国体にそぐわない、西欧の思想であって、いったん事あれば天皇陛下のために命を投げ出すべき日本にあっては、それらの思想は邪魔にこそなれ、撲滅せねばならないと言う考えた方だった

個人主義を嫌う片山さつき氏にそっくりではないか。  

一方攻撃を受けていた、岡田内閣はどうだったか。 

最初は、小原司法相は、「美濃部の学説すべてを抹殺するようなことは、ドイツやイタリアのような国とは違い、日本では不可能だ」と語っていたし、岡田首相も、個人的には天皇機関説に賛成はしないが、学問のことは学者たちに任せるのが妥当だと答えていた。 しかし、結局、美濃部の著書を発売禁止として、「実質的に、日本で30年近くにわたり憲法解釈の定説として受け入れてきた天皇機関説を「異端の禁教」とみなすもの」と、あっという間に、流されていった。 

菊地武夫が貴族院で攻撃した、1935年2月18日 から、発売禁止を閣議決定した4月9日まで、わずか、二ヶ月である。 

メディアはどうか。 ほとんど反応しなかった。 

ただ、東京朝日新聞は、「政府は今回の事件によつて、憲法学説の国定を試みたものである。 政府がいかなる法規により、いかなる機関によって、憲法学説の判定を行い、国定憲法学説を立てたのかが問題である。 それが司法裁判所の判決によったものでないことは明らかだし、憲法の疑義解釈として枢密院の議に付したあともない」と、手続き論で、かすかな批判をするのが精いっぱいのようだ。

美濃部氏は、ひとり、第一の弁明、第二の弁明と、真っ当な反論を重ねたが、最終的には弁明も取り下げ、議員辞職して、表舞台から消えた。 昭和天皇は、美濃部氏も美濃部氏の学説も買っていたから、たいへん残念なことと語ったらしい。

このあとは、もう、一挙に国体明徴運動に突き進む。 立憲主義の崩壊である。

もともと、 「自国の君主を「神の子孫」と見なすような考え方は、西欧ではすでに「時代遅れの旧弊」として政治システムから排除されており、日本では天皇と「立憲主義」を論理的に整合させるための新たな工夫が必要になったのです」。そこで生み出されたのが、天皇機関説だったのに、それが排斥されれば、 天皇は一気に神になってゆくしかない。 

「その政体法の根本原則は、中世以降のごとき御委任の政治ではなく、あるいは英国流の「君臨すれども統治せず」でもなく、または君民共治でもなく、三権分立主義でも、法治主義でもなくして、一に天皇の御親政である」と文部省が言い始め、もはや、法治主義でもなくなってしまう。 


最後に、三つのフレーズを挙げておく。 
たいへん良く説明されている。

「社会構造のピラミッドの頂点に天皇とその祖先を「絶対的に神聖な存在」として位置づけ、天皇を際限なく賛美することによって、そこにつながる日本人全体が優れた民族であるかのように理解する考え方は、国体思想に共通する価値観の基盤、あるいは「思考の出発点」でした」

「そのため、西欧で理論的な構築がなされた哲学や近代的な政治理論、思想(人間は生まれながらにして個人の権利、つまり人権を持つとする「天賦人権説」など)は、国体の価値観から出発したものでないとの理由で、排斥の対象とみなされました」

「我が君臣の関係は、決して君主と人民が相対立するような浅い平面的関係ではなく、この対立を無くした根本より発し、その根本を失わないところの没我帰一の関係である。それは個人主義的な考え方では決して理解することのできないものである」





山崎雅弘「「天皇機関説」事件」(集英社新書 2017.4.19)
第一章 政治的攻撃の標的となった美濃部達吉
第二章 「天皇機関説」とは何か
第三章 美濃部を憎んだ軍人と右派の政治活動家
第四章 「国体明徴運動」と日本礼賛思想の隆盛
第五章 「天皇機関説」の排撃で失われたもの

<年表>
1935.2.18 貴族院議員にて男爵菊地武夫が美濃部達吉の天皇機関説を弾劾
1935.3.23 衆議院本会議で「国体に関する決議案」可決
1935.4.9 閣議にて、美濃部達吉の三著を発売禁止、二著は改版により字句の修正を命ず
1935.4.15 国体擁護連合会はパンフ発行、「日本にはびこる西洋崇拝思想の一掃」方針
1935.4.17 神道思想家今泉定助が「政教維新連盟」を結成
1935.8.12 皇道派相沢三郎中佐が統制派の永田鉄山少将軍務局長を斬殺
1935.9.16 美濃部達吉、小原司法相に充てた上申書で貴族院議員拝辞表明
1935.9.18 辞職届とともに、第二の弁明
1935.9.21 第二の弁明すべて取り消しを表明







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