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zoom RSS パオロ・マッツァリーノ「みんなの道徳解体新書」

<<   作成日時 : 2018/06/20 20:05   >>

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道徳副読本の実例が多く挙げられている。 それに対する筆者の感想・意見がなんだかふざけた感じがしていたが、これは筆者のせいではなく、実例がやはり変過ぎるのだと思い直した。 変な実例を意識的に選んでいるとは思えない。 道徳の副読本というもの自体が、変な話の集まりになってしまうのだ。 

道徳以外の教科は、先生はそれなりに得意だったり、専門だったりするが、「道徳」だけは、先生は道徳に詳しいわけではない、不思議な科目だと筆者はいう。 言われてみればそうだね。

また、「正解が決まっている善悪の基準を子どもたちに押し付けて」維持することが目的なので、「道徳をありがたがるオトナたちは、新たな発見や可能性によって道徳の内容が変わってしまうことをなにより恐れます。なので道徳の時間だけは、疑うことも考えることもしくみを考えることもタブーとされます」。 確かにそういうことになる。

道徳教育を推進する人々は、むかしは良かったけれど今の子どもたちは・・・という、言い方を必ずするが、たとえば、「現代人が寛容を失ったのならば、むかしの人は寛容だったことになります。そうでしょうか? むかしの人が寛容だったなら、なぜ戦争をしたのですか? 自分と主義主張が異なる他人を武力で屈服させることは、寛容とはいいません」という。 また、「戦後日本人のモラルが低下したとする説は、なんの根拠もない俗説にすぎません。欧米流の個人主義も家制度の崩壊も、モラルの有無とはまったく関係ありません」。

たしかに、少年の犯罪は昔のほうが多かったし、街も昔のほうが汚かった。 いまの子どもたちのほうがマナーはいい。 「未成年による凶悪犯罪が報じられるたびに、道徳を科目として独立、復活させるべきとする主張は繰り返されます。そもそも道徳教育で犯罪を減らすことなどできない」

そのほか、面白い、しかも真っ当な主張が続く。

「日本の学校は、ともだちは多ければ多いほどすばらしいことだ、と教えたがりますが、ともだちなんて、数人いればじゅうぶんです。 ムリをしてまでともだちを作らなくてもいいですよ。 よのなかで本当に必要とされるのは、ともだちを作る能力ではありません。ともだちでない人と話せる能力なんです」 とか、

トランジスタラジオや駅の伝言板が副読本の題材になっているものがあって、「世間知らずの年寄りがこどもたちにノスタルジーを押しつけるだけの道徳なんて、必要ありません」

よく書かれる赤鬼・青鬼の話は、「赤鬼が村を去るか、親友の青鬼を探して連れ戻すか。このいずれかの行動を取るところまで描かなければ、道徳的な物語とはいえません。青鬼の自己犠牲に甘えるだけで終わってしまったら、あまりにも非人道的です」

「なぜ人をころしてはいけないのか」という子どもの質問に、ある政治家は、「そういう質問をするこどもは、どこかおかしいのだ。 だから道徳教育で直さなきゃいけない」という。 しかし、考えることは自由であるべきだし、だいたい 「ほとんどのオトナたちは、人を殺してもいいと考えている」。 だって死刑を認めているのだから。

「道徳の授業でいのちの大切さを教えよう、といいますけど、いのちが大切なことは、学校で教わるまでもなく、生物ならみんな本能で知ってます。」






パオロ・マッツァリーノ「みんなの道徳解体新書」(ちくまプリマー新書2016.11.10)
第一章 道徳のしくみ
第二章 読めそうで読めない道徳副読本
第三章 道徳副読本傑作選
第四章 おすすめの名作
第五章 おもしろすぎる! むかしの道徳副読本
第六章 道徳副読本の問題点
第七章 オトナが勉強をしなくなるしくみ
第八章 命の大切さのしくみ





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