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zoom RSS 荻野富士夫「よみがえる戦時体制 治安体制の歴史と現在」

<<   作成日時 : 2018/10/08 17:44   >>

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戦時体制輪を支える治安の確保は、治安維持法を中心に、多くの法制や施策によって、体制が確立していった。 その経緯をあらためておさらいしながら、現在もある意味、戦前であるととらえ、戦時体制がどの程度確立しているのかを確認する。

「戦前治安体制を支える主翼の位置にあったのは、法令としては治安維持法であり、機構・機能としては特高警察と思想検察でした」。 「社会運動や不穏とみなす言動を集中的かつ強権的に封殺することと並行して、より広い対象を統制し動員する「輔翼群」という存在があってこそ、「主翼軍」の機構・機能は能力を全面的に発揮し得たと言えます」。


これらを順を追って説明が加えられて、あらためて、「彼ら」のやることは周到だと、感じ入ってしまう。

情報統制、経済統制、「教学錬成」の機構と機能、治安維持法を補完する治安法令、治安警察法、出版法・新聞紙法、暴力行為等処罰に関する法律、改正軍機保護法 ・・・ 盛りだくさんで、あの手この手でもある。

<治安維持法>

1925年4月、「法益を「国体」変革と「私有財産制度」否認を目的とする結社の処罰に絞ったとされる治安維持法案が提出され」、成立。  「目的遂行罪によって、共産党の「国体」変革という目的遂行に資したと当局側がみなせば、労働組合や後援会・プロレタリア文化運動などにかかわる活動は、取締りと処罰の対象になりました」

日本では、無期懲役が最高だったが、「民族独立運動への見せしめとして、朝鮮では治安維持法による死刑判決がありました」

1926年京都学連事件が最初の適用。 第一条の結社行為でなく、第二条の実行協議行為

1928年の三・一五事件以後、緊急勅令による「改正」で、最高刑を死刑に、

1941.3 治安維持法再改正、支援結社・準備結社・結社に非ざる集団、に関する処罰規定が欠如していた、それを補完。 たとえば、「哲学者戸坂潤を中心とする唯物論研究会事件に対する1944年4月の判決では、研究会を「支援結社」とみなし、その組織化が日本共産党・コミンテルンの「目的遂行」行為に当たると認定」

「第七条で「国体」の否定と「神宮若は皇室の尊厳を冒涜すべき事項」の流布が、第八条ではそれぞれの目的遂行の処罰が新たに規定され、宗教運動の取締りが飛躍的に容易になりました」



<特高警察>

特高警察関係で、「強調されたことは、検挙者数の多さではなく、未然の防止 (中略) 視察内定を徹底し、不穏とみなされる動向を未然に抑止することが重視されたのです。この点は、共謀罪の考え方に通じます」


<思想検察>

1930年に自立し、「まもなく治安維持法の拡張解釈の論理の開発などを通じて、あるいは「転向」施策の主導によって、特高警察と肩を並べる」と、転向は特高よりも検察らしい。 暴力よりも頭脳と言うことか。 「公判廷においても裁判官をしのいで主導権を握るほか、刑務所での行刑、保護観察や予防拘禁の運用においても、その権限が強大であった」


<思想憲兵>

「主として軍の存立、安寧秩序に影響をおよぼす社会運動」、すなわち反戦反軍の運動・思想、それにかかわる社会情勢一般や人心の動向を対象とし、軍事警察の概念を拡張して抑圧と取締りに加わって」いく、その根拠は、一般人が軍に向けて運動するかもしれないということだ。 


<学生主事・生徒主事の配置>

三・一五検挙者に学生が多かったため、学生運動の抑圧に乗り出す。 文部省に学生課、大学には学生主事、高校などには生徒主事を配置


<教学錬成>

1935年11月 岡田啓介内閣に教学刷新評議会を設置、天皇機関説事件から国体明徴・教学刷新の一環として、国体・日本精神に基づく教育的学問的創造を推進する役割か


<情報統制・操作>

1936 内閣の情報委員会設置し、後に、 内閣情報部として拡大。 「週報」を創刊し、広報宣伝を通じて情報の統制、同時に、「中央公論」や「改造」との個別の連絡会議を通じて情報統制。  もう、新聞社は何の心配もなかったのだろう。


<経済警察>

統制経済の違反に対する取り締まりを行う。 警保局、各府県警察部に経済保安課を設置


<外務省警察>

外務省自身が国外に警察機関を持ち、とくに1930年代には、憲兵や警察・司法とともに治安体制の一翼を担った。 当初は在留邦人の保護取り締まりと権益の擁護、のちに後方の治安の確保


<思想洗浄>

特高警察や憲兵は、厭戦的・批判的言動とみなしたもの、「抗弁する態度自体」が問題視され、「天皇と国家に帰一する「精神」「態度」にまで完全に転向することが求められ、そのためには「思想洗浄」「思想清算」が必須とされた」


<流言蜚語の取締り>

「臨時取締法違反では思想性・イデオロギー性の薄い個人的犯罪が対象」となった


<国民生活・思想の監視と抑圧>

労務統制のゆるみや徴用工の増加などにも警戒、 「電車内、街頭通行人の口吻に耳を傾け、或いは親族知己等との交際を通じ、又は隣組常会其の他種々の機会を利用する等、片言隻句の中に内部に底流する民心動向のの真相把握に努めねばならない」。 のぞき見、盗み見、なんでもありだ。



これ以外にもあるから、まことに、幅広く抑えるべきところを抑えているのだろう。 ただ日本のことだから、これらは、そんなにシステム的に連動していたはずがない。 一般人にとっては、あるいは、運動家にとっては、あっちからもこっちからも矢が飛んでくるということなのだろうか。 

さて、戦後である。


人的な継承、理念の継承、各組織の継承、治安法令の再整備、52年の破壊活動防止法の成立、自衛隊の警務隊と調査隊の設立、51年の公安検察の設置、54年新警察法、警察中央集権化による「公安警察」の強化 ・・・・ と、着々と進行した。 

たとえば、48年3月、「芦田均の組閣に際して、すでに「象徴」となっていたはずの昭和天皇は、「共産党に対しては何とか手を打つことが必要と思うが」と述べ」、天皇が反共治安のリーダーシップをとっていたと知ります。

また、岸信介は、自民党の「治安対策要綱」を米国に持参・説明した。 岸は、破防法改正等新立法、戒厳令に代わる新法、秘密保護法、スパイ取締法制定、総評ゼネスト対策の公労法、防諜法案、共産党員の公務員就職を禁止する特別立法、警職法改正などの実現を図った。 当時、実現できなかった、これらの法は、姿を変えて、安倍政権などで実現しつつあるわけだ。 







荻野富士夫「よみがえる戦時体制 治安体制の歴史と現在」(集英社新書2018.6.20)
はじめに 「来るべき戦争準備」に抗するために
第一章 戦時体制の形成と確立
第二章 戦時体制の展開と崩壊
第三章 戦後治安体制の確立と低調化
第四章 長い「戦後」から新たな「戦前」へ
第五章 「積極的平和主義」下の治安法制限厳重化
おわりに 再び多喜二に学ぶ






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