金時鐘「朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ」

日韓の話題で、韓国側が「親日派」を非難していたことかあり、日本側がなんだなんだ、なぜ親日を非難するんだと問題にする、というやりとりがあった。日本人はついこの間の歴史すら知らないのだとおもう。金時鐘氏の「朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ」を読むと、1945年の「解放」後に、いかに米軍と植民地時代の「親日派」が反共のために韓国民衆を蹂躙したかがよくわかる。独裁時代からの民主化闘争を闘ってきた韓国民にとって、「親日派」は植民地時代は韓国民衆を搾取し、戦後も民主主義をふみにじる存在でしかないのだ。

金時鐘氏は、済州島のかなり裕福な家庭に生まれ育ったが、両親の気持ちも慮らない、鼻持ちならない皇国少年だった。 
しかし、少年にとっては信じられない「解放」の日がやって来て、「朝鮮人としての自覚を深めた一番のきっかけは、「自分の在所探し運動」の指導者であり、実践者であった崔賢先生との出会い」だったという。 

そして、こんどは打って変わって南朝鮮労働者党に参加する。 それは、「解放」者のはずの米軍が軍政を敷き、「朝鮮総督府の機能、権能がそのまま踏襲され、吏員(公務員)の身分迄保障されたことで、親日派、民族反逆者の追及を受けて身を隠していた連中までが、大手をふってもとの職責に返り咲いていきました。政財界から司法警察はいうに及ばず、教育界、文化芸術界に至るまで、あっという間に元の木阿弥の旧体制が息を吹き返したのでした。全くもって、主人がアメリカに入れ替わっただけの、南朝鮮の「解放」」という、いわば裏切りがあったからだ。

米軍政と旧親日派の統治は、反共が主たる目的で民生は一向に改善されない。持込の制限もあった帰還で、「解放」に急かれて日本から帰還した人も、受け入れ態勢も仕事場もない古里で、生活が立ち行かず、ほどなくして日本への逆流が始まった。 米軍政の供出政策に対抗して島人民委員会は「穀物収集拒否運動を展開し、買い占め、売りしぶりに手を課している当局の汚職官吏や、悪徳商人の名を挙げて糾弾」、しかし「軍政当局はこれを社会秩序を乱す共産主義者の謀略活動と断じ、「反共」の正義をかかげて名を売っている親日派あがりの大小の右翼集団に、公然と梃入れを始めました」。

さて、必ずしも金時鐘氏に関係しないことも含めて、戦後史の話題を挙げておく

・ 植民地の朝鮮には義務教育が敷かれるまえに徴用、徴兵令が先に発布されましたし、「義務教育」は昭和二十年十月一日をもって試行する、試験的におこなっていく前に敗戦となったから、日本が義務教育をもたらした、という意見は間違い。

・ 朝鮮戦争当時、韓国軍と右翼集団が、反転して北へ押し上げていく過程で、「北への協力者」狩りは、「数十万」にも及ぶ虐殺だった。 皆々に流れてきた右翼は金日成の過酷な右翼狩りに反発して余計に右翼になったのだろう。 どっちも虐殺に事欠かない。

・ 1945.12.27 米英ソ三国外相会議で、「モスクワ協定」として知られる「信託統治」が決定された。朝鮮を五年間の信託統治とする ・・・ 賛託に豹変した共産党の対応は、4.3事件まで尾を引く ・・・ 中心人物が朴憲永

・ 「李承晩は南朝鮮だけの単独政府樹立を主張する猛烈な反共主義者ですが、その彼をアメリカ軍政府は10月22日、軍政令でもって創設させた「南朝鮮過渡立法議院」のその決議を経る形で、「南朝鮮過渡政府」という、実質的な韓国臨時政府の「大統領」に据えたのでした」

・ 48.4.19から平壌で開かれた「全朝鮮政党・社会団体代表者連絡会議」に敢然と出席した金九は、南に帰ってきたところを「李承晩の刺客である現職の陸軍少尉安斗煕によって暗殺されてしまった」

・ 「九月には朴憲永ら共産党幹部、民戦傘下の指導者全員にいっせいに逮捕状がだされます。「人民報」「現代日報」「中央日報」など左翼系合法紙まで閉鎖が命じられて、在野の新聞はすべて公衆の前から姿を消しました。

・ 趙炳玉(チョピョンオク)は、「索出」という造語を定着させた警務官僚で、済州島を「赤の島」と断定し、空中からガソリンを撒いてでも赤を抹殺すると公言してはばからなかった

・ 1946.1 趙炳玉配下の軍事組織として国防警備隊を新設、「警備隊の幹部将校には植民地時代の警察官、軍人、もしくは軍籍にあった人たちが公然と登用されました」朴正煕もそのひとり。

・ 「米軍政庁や警察権力が反体制的社会運動にからむ事件の真相をいかにねじ曲げ、その事件の経過や諸事実をどれだけ体制側に都合のよい歴史的事実に仕立てていったかを、とくと見せつけられた」・・・「警察署を襲撃する気勢を見せたため、やむを得ず発砲した」と捏造

・ 拷問をしていた警官は、「すべてと言っていいほど、植民地統治下で抗日愛国者を弾圧し迫害した特別高等警察出身者か、朝鮮総督府特攻関連の警察官だった人たち」

・ 八月に入り、検束者が一万三千名にも及ぶという大弾圧

・ 武装蜂起と言っても農民一揆程度の貧弱な武装で、山部隊の勢力は総数300人程度、武器は日本軍が地中に埋めた旧式の九九式小銃30挺あまり。4月3日に山部隊が襲ったのは、警察支署と右翼団体事務所、要人の居宅。 第九連隊の兵士41人も、武器弾薬と装備をたずさえて山の武装隊に加担

・ 「治安問題には軍は介入しないとの警備隊の原則に従ってのことではありましたが、済州島連隊の第九連隊は端から4.3の済州事態を、済州島民と警察および右翼の西北青年団等との衝突であるとの認識で静観していた」。その金益烈連隊長との間で和平交渉が進展していたが、金連隊長は突然更迭された。

・ ディーン軍政長官「我が国の独立を妨害する済州島暴動事件を鎮圧するためには、済州島民30万を犠牲にしてもかまわない」。これが米国の本質。



金時鐘「朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ」(岩波新書2015.2.20)
はじめに
第1章 悪童たちの中で
第2章 植民地の「皇国少年」
第3章 「解放」の日々
第4章 信託統治をめぐって
第5章 ゼネストと白色テロ
第6章 四・三事件
第7章 猪飼野へ
第8章 朝鮮戦争下の大阪で
終章 朝鮮籍から韓国籍へ





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