宮下洋一「安楽死を遂げるまで」

日本でも早く安楽死法が成立して欲しいと思う。筆者宮下洋一氏が取材した患者の中にも、安楽死法が成立して何時でも死ねると思った時から、安楽死の選択をしないで済んでいるという人がいる。選択肢があるということはとても意味のある事だ。

筆者宮下洋一氏は、とくに安楽死の専門家でも、長らくこの問題を考えつづけたというわけではなさそうだ。だからなのか、取材とそのまとめが、どこか隔靴掻痒の印象がある。知りたいことにいまいち直球が当たっていない感覚がする。それがなんだかはわからない。

筆者宮下洋一氏は18歳からは海外暮らしで、「個人」という概念はよく体に浸み込んでいるはずだ。 それでも、安楽死に伴う、個人の死を個人が決めるという考え方に感覚的に同意できないようだ。 宮下氏は日本人は「死」はもっと家族や親しい人々と関係するもので、自分で勝手に決めることに抵抗があるようだ。 その感覚は、私には理解しがたい。決められるものなら、死期は自分で決めたい。だいたい、日本人の最も重視する習慣は、人に迷惑をかけない、ということであり、死を自然にまかせたら、人に迷惑をかけつづけだろうに。

・・・というようなイッシューはあるけれども、宮下氏の丁寧な取材、スイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、そして、日本と地球上をめぐる。 オランダで可能な、医師が注射等で死をもたらすことができる積極的安楽死、スイスの本人がロックを外す自殺幇助、ベルギーで可能な精神的疾患による耐えられない「痛み」への対応、内容は同じなのに決して安楽死を認めず、死に敗けない尊厳死だと言い張るアメリカ、カトリックの伝統に抗した「海を渡る蝶」のモデル ・・・ 安楽死にかかわる、大きな論点がもれなく挙げられ、それも、技術論や法制度に偏しないで、ものの考え方や感情に重視した視点で語られる。 

そのほか、ちょっと気になって点を挙げておく

・ 「スイスでは、この他にも、終末期患者に対する「セデーション」が認められている。セデーションとは、たとえば残りの命が通常1,2週間に迫って来た末期癌患者に薬を投与し、耐え難い痛みを鎮静させるとともに人工的に昏睡状態に陥らせ、死に向かわせることである。意識を落とした後、水分や栄養を与えないために、3~7日間で死に至る」

・ 「オランダでは、安楽死をさせる患者の条件として、回復の望みがないことと、耐えられない痛みを持つことが原則となります。認知症の父はこれらに該当したため、安楽死クリニック所属のドクターの幇助で死ぬことが可能になりました」

・ 「耐えられない苦しみというのは、測定したくても、それを図る道具は存在しません。熱を出しているのではなく、それは感情です。私は、苦しんでいる人々を助けたい。可能性がなくなったときには、その苦しみを終わらせてあげたいとおもいます」

・ 鳥取大学医学部 安藤奏至氏の言葉、「そもそも日本には安楽死合法化について議論できる土壌すら整っていない」・・・「安楽死は「死は自分の私的な事柄なのだから自分で決めるべきだ」という思想に支えられていますが、日本では自らの生き方すら自分で決められません」





宮下洋一「安楽死を遂げるまで」(小学館 2017.12.18)
プロローグ
第1章 安楽死の瞬間[スイス]
第2章 僕が死ぬ日にパーティをしよう[オランダ]
第3章 精神疾患者が安楽死できる国[ベルギー]
第4章 「死」を選んだ女と「生」を選んだ女[アメリカ]
第5章 愛か、エゴか[スペイン]
第6章 殺人医師と呼ばれた者たち[日本]

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