加藤直樹「九月、東京の路上で」

都知事が朝鮮人虐殺の異例の言葉を記念日に語ることをやめただけでなく、いま、朝鮮人暴動は実際にあって、自警団がそれと戦ったと信じる人々が増えているらしい。この本のように、どんなに実際の証言が公開されても、認めたくないことは認めないようだ。そんな人がいま韓国に対しては何言ってもいいんだと、白昼のテレビ番組で韓国たたきをしている。 

巻頭に萩原朔太郎の言葉が掲げられている。
    「朝鮮人あまた殺され その血百里の間に連なれり われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」

朔太郎でなくとも誰もが怒りに震えるだろうが、最も怒りを感じるのは、郡・警察・行政が、虐殺の真相を闇に葬り、自警団の虐殺者をほとんど逮捕もせず、起訴しても、警察や軍の責任は認めない、そのバランスを「自警団の処罰を緩めることでバランスを取った」


多くの証言をとりあげて記録しているから、それを全て引用することもできないが、地元に近いところの件だけ挙げておく。

・「大崎では、星製薬で作業員として働く金容宅ほか4人が鳶口などで乱打されて重傷を負い、平塚でも1人の朝鮮人が竹ヤリや天びん棒で襲われ重傷、翌3日にも同じ場所で朝鮮人1人が重傷、品川町では地元に住む明治大学の日本人学生が朝鮮人と間違われて竹ヤリ、鳶口、日本刀で襲撃され、病院に搬送されたが結局亡くなった」

なぜ、こんな虐殺が起こり得たのか。筆者は推察している。

1919年3月1日の抗日運動で、「朝鮮人が日本の支配に怒っているという事実は、もちろん当時の日本人の多くにとっては認めたくないことだっただろう。メディアはその気分にへつらい、罪のない日本人が憎しみに満ちた朝鮮人暴徒によって襲われているという、あべこべの図を描いてみせた」。 「植民地支配に由来する朝鮮人蔑視があり、4年前の三一独立運動以降、日本人はいつか彼らに復讐されるのではないかという恐怖心や罪悪感があった。そうした感情が差別意識を作り出し、目の前の朝鮮人を「非人間」化してしまう。そして過剰な防衛意識に発した攻撃が、「非人間」に対するサディスティックな暴力へと肥大化していったのだろう」と。

そして、「自警団、自警団員の中には、自警を超えて、虐殺、朝鮮人いじめを楽しむ者も出てきた。前述で見たような殺し方は、もはや自衛のためではなく、社会的に抑圧されていたものが、その屈折した心の発散を弱者に向けるようになったものである」ともいう。

軍や警察や行政は、差別に輪をかけて、治安上の懸念から、社会主義者、労働運動家への弾圧と繋がっていた。時は異なるが、石原都知事の三国人発言に対して、「ここには、かつて朝鮮人虐殺を拡大させてしまった行政当局の問題のすべてがある。外国人に対する差別・偏見、その偏見に基づく風聞を信じ込む態度、それを拡散して恥じない態度、「治安」最優先の災害対応イメージ、軍事の論理の動員」と、私もまったく賛成だ。

衝撃的なのは、子どもたちの作文だ。東京市立小学校児童震災記念文集を評して、「あまりにも大量に、造作なく、「死んでいました」「殺してしまいました」といった描写が子どもの作文中に出てくることの衝撃と嫌悪」「これほどたくさんの子どもたちが無造作に書くほどに、当時、朝鮮人の殺害が珍しくなかった事実を思い知らされる」と、語る

善く言われる被害者6000人という人数を根拠がないと問題視し、それによって、朝鮮人虐殺それ自体をなかったことにする言説は、南京事件と同様の歴史修正主義者のパターンだとわたしは感じる。 その人数は、政府が隠蔽して調査もしなかったことから、定かな数字として確定していない。筆者は以下のような数字を挙げている。 立件された朝鮮人殺害事件はたった53件、233人で、もちろん警察は、すべてを検挙する気もなかった。 調査推定されている数字の例は以下のようだ。 独立新聞特派員調査が6661人、吉野作蔵の推定が2613人、内田良平の調査東京府のみで722人、新聞報道の合計1464人、朝鮮総督府調査813人 ・・・

朝鮮人虐殺は過去の話ではなく、現代もいつでもどこでも起こりうる。筆者は、2005年のニューオーリンズと90年前の東京の後継は同じもの、「レイシズム、流言、行政やメディアの煽動、自警団と行政機関による殺人、隠蔽、裁かれない犯罪」・・と語る。




加藤直樹「九月、東京の路上で」(ころから 2014.3.11)
まえがき
第1章 1923年9月、ジェノサイドの街で
第2章 1923年9月、地方へと広がる悪夢
第3章 あの9月を生きた人々
第4章 90年後の「9月」
あどがき

<1923年9月、ジェノサイドの街で
・1923年9月1日土曜日午前11時58分 関東地方 マグニチュード7.9

・9月2日 日曜日 未明   品川警察署 「朝鮮人を殺せ」
午前5時 旧四つ木橋金 薪の山のように
昼    神楽坂、 白昼の凶行
         午後  警視庁  軽擦がデマを信じるとき
午後2時 亀戸駅付近  騒擾の街
午後8時 千歳烏山  椎の木は誰のために
旧四つ木橋付近 「何もしていない」と泣
9月3日 月曜日 
午前  上野公園  流されやすい人
午後3時 東大島  中国人はなぜ殺されたのか
午後4時 永代橋付近  曖昧さにうめられているのは
9月4日 火曜日 
午前2時 京成線・荒川鉄橋上 体に残った無数の傷
朝  亀戸署  警察署の中で
9月 旧四つ木橋  兵隊の機関銃で殺された
 
<1923年9月、地方へと広がる悪夢
1923年9月  北関東  流言は列車に乗って
9月4日 火曜日 夜  熊谷  「万歳」の声とともに
9月5日 水曜日 10時半  旧・羅漢寺付近 差し出された16人
9月6日 木曜日 午前2時  寄居警察分署 ある隣人の死
9月           高円寺  「半月おじいさん」の高円寺
9月9日 日曜日 前後  池袋  あそこに朝鮮人が行く
9月    喜平橋  武蔵野の森の奥で
9月12日 水曜日未明  逆井橋  王希天、70年の「行方不明」 
 





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