中塚明「近代日本と朝鮮 第三版」

日本と朝鮮半島とのかかわりについて、かなり詳細に記述されている。若干、言葉遣いと視点にイデオロギーの香りを感じるが、内容は史料に基づく出来事の記載が中心だから、記述の信頼性は高いのだろう。ななめ読みでもよいから、この程度の内容は日本人ならみな、高校生程度で学ぶべきだろうと心からそう思う。歴史教育はここまでやらないと、まともな前進はできまい。

さて、内容はあまりに豊富で要約には適さないから、アト・ランダムに気になったところを挙げるにとどめる

・ 「1889年、日本の米作が大凶作にみまわれ、日本が外米の輸入をいっそう切実に感じたちょうどそのとき、朝鮮で防穀令がだされた。日本商人が朝鮮産の米・大豆などを買いたたくのに対抗して、朝鮮の地方長官が穀類の輸出を禁じたのである。 日本政府はただちに朝鮮政府を威嚇し、この禁令を解かせるとともに、日本商人が損害を受けたとして賠償金を要求した」

・ 1894年5月31日、「朝鮮では甲午農民戦争の勢いが大いにふるい、朝鮮南部、全羅道の中心都市であった全州が農民軍の手におちたのである」

・ 日本は清軍を追い出すよう日本に依頼せよと迫ったが、国王は応ずるはずもなく、「7月23日の早朝、日本軍が朝鮮王宮を占領、大院君を政権につけ、朝鮮国王とその政府を日本の軍事的、政治的に従属下においた。同時にソウルから清国に通じる電信線を切断し、牙山の清国軍を攻撃するために南下した。いっぽうすでに7月19日、事実上の開戦命令が陸海軍にだされ、連合艦隊は佐世保を出港していた」

・ 8月17日、「日本政府は当面の朝鮮政策を決定した。それは「朝鮮ヲ名義上独立国ト公認スルモ定刻ヨリ間接ニ直接ニ永遠若クハ或ル長時間其独立ヲ保翼扶持シ他ノ侮ヲ禦グノ労ヲ取ル事」というものであった」

・ 「閔妃殺害を目撃した諸外国の外交官からも攻撃されることになった。日本政府はやむなく三浦公使をはじめ事件の関係者を朝鮮から退去させ、形式的に裁判にかけ、当面を糊塗せざるを得なかった。しかし、日本政府はこの事件の関係者をだれひとり処罰しなかった」

・ 1904.2.23 ロシアへの宣戦布告の二週間のち、「日韓議定書」を強要・調印した。「大韓帝国政府ハ大日本帝国政府ヲ確信シ施設ノ改善ニ関シ其忠告ヲ容ルル事」・・・保護国化、植民地化を進める

・ 1904.3.7 日本は韓国駐留の韓国駐箚(トウ)軍を設置、7.2には、死刑を含む軍律を定め、ソウル、元山、仁川、平壌をむすぶ電信・鉄道線路上をその施行区域として反日行為を取り締まった。それを、7.9には早くも韓国一円に拡大する

・ 1904.8 第一次日韓協約にて顧問政治を実現したのち、1905.10.27 に、「韓国保護権確立実行に関する閣議決定」によって保護国化を決める。その決定通り、11.15 ソウルに日本軍を集め、閣僚を憲兵らに監視させ、伊藤博文は皇帝に保護条約の調印を迫った。調印を拒むので、11.17 皇帝の裁可もないまま、伊藤博文は韓国政府の大臣一人一人に賛否を審問し、やむなく賛成した大臣の多数決として調印を迫り、締結、 外交権を奪い、統監府をおく 乙巳条約(いつし)、第二次日韓協約を締結した。「あからさまに朝鮮の主権を侵害し、朝鮮人民の徹底的な抑圧体制を打ち立てられることが出来たのはなぜか。それは、アメリカ・イギリスが日本の朝鮮支配を支持していたから」。1906 フランシス・レイ 乙巳条約は、精神的、肉体的暴力によって押し付けられたことと、以前の条約と矛盾するため、無効と表明した。

・ 1905.3 第一銀行が韓国中央銀行として通貨発行権を握る

・ 1906.5 忠清南道で、閔宗植が抗日の兵をあげたのを皮切りに、1907 朝鮮全土に義兵闘争が広がる。「初期の義兵闘争は、その指導者の多くが三南地方の儒者であったが、それにくらべて愛国啓蒙運動の指導者は、キリスト教徒で、民族資本家であることが多かった」

・ 1907.7.18 不成功に終わったハーグ密使の責任について、皇帝高宗を圧迫、退位に追い込み、7.24 第三次日韓協約を締結、その結果、行政・司法の実権を統監に集中、韓国軍隊の解散する。解散させられた軍兵士が義兵に。 

・ 1910.8.22 併合条約調印。併合条約第一条と二条で「この「併合」が、あたかも韓国皇帝の自発的意志にでて、日本はその申し出を受諾する形にしたのである。日本政府の見え透いた小細工であった」。 同時に、「併合」という言葉で、「日本の政策は「世にいう植民地に対する搾取政治」ではなかったと強弁している」。  8.25 「愛国文化啓蒙運動の団体はもちろんのこと、「併合」に貢献したはずの一進会までもがいっせいに解散させられた」

・ 1918.8 「捕虜になったチェコ兵を救う」という名目で日本もシベリア出兵したが、世界最初の社会主義国家の圧殺の意図ばかりでなく、のシベリア、満州・内外蒙古に日本の勢力をのばし、さらに、「シベリア地方の朝鮮人の独立運動をあくまで阻止することをはかった」

・ 1919.1.22 高宗が亡くなったあと、3.1 パゴダ公園に集まった学生・青年たちが独立宣言を読み上げ、各地で独立万歳の声が上がった。12/31まで暴動発生件数が3200件、検挙者は1万9525人、街頭で虐殺されたものは、判明しているだけで7909人にのぼる。「朝鮮では3.1独立運動後も、豆満江の対岸、中国領間島を中心に、そこにすむ朝鮮人によって独立運動が活発に展開されていた。(中略) 日本帝国主義は、この間島の朝鮮人独立闘争をつぶすために、日本軍を出兵させようと口実をさがした」

・ 1926.6.10 最後の皇帝純宗の葬儀に各地で独立万歳の示威運動が繰り広げられ、1927.2 には、愛国勢力の統一戦線組織 新幹会つくられる。
1925~28 にかけて、453件の同盟休校。192911.3 ~ 光州学生事件。日本人中学生が朝鮮人女学生を侮辱したことがきっかけで、194校でストライキ、参加学生6万人。

・ 1931.7 万宝山事件。満州地方に移住した朝鮮農民を中国農民と対立させて、分断させていた、その朝中農民の大衝突事件。「「満州国」は、日・漢・満・蒙・朝鮮の「五族協和」による「王道国家」であると日本は宣伝した。しかし実際には、日本帝国主義は一貫して抗日の勢力をできるだけ弱めるために、各民族間の不和・対立を助長する策をとった」

・ 1935.12.9 北京の学生から起こった「12.9」の抗日の大デモ

・ 1936のベルリン・オリンピックで孫基禎が優勝した。東亜日報や朝鮮中央日報は孫選手の写真をユニホームの日の丸を削って報道した、日章旗抹消事件。無期停刊の厳しい処分

・ 1937.10.2 「日中全面戦争がはじまると、朝鮮では植民地支配の最高目標として「内鮮一体」が提唱された。朝鮮人に宮城遥拝・神社参拝・一面一神社設置などを強制し、1937年10月2日には、「皇国臣民ノ誓ヒ」を制定し」、ことあるごとに唱和させた。 「我等ハ皇国臣民ナリ 忠誠ヲ以テ君国ニ報ゼン」、「我等皇国臣民ハ 互ニ信愛協力シ 以テ団結ヲ固クセン」、「我等皇国臣民ハ 忍苦鍛錬力ヲ養ヒ 以テ皇道ヲ宣揚セン」

・ 1939.11.10 朝鮮民事令改正による創氏改名。伝統ある旧家が日本の統治に協力しながらも、先祖に対して創氏だけはできないとしていたが、子どもが、創氏しなければ進級を止めると学校で言われて、仕方なく創氏したが、当主は祖先に申し訳ないと自殺した、そんな例もある

・ 1942.10 朝鮮語学会の会員を多数検挙した。理由は、ハングル大辞典の編纂を進め、完成まじかだったため

・ 1943年11月のカイロ宣言で、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意しやがて朝鮮を自由独立のものたらしむるの決意を有す」と、朝鮮の独立を支持することを明らかにした」。「カイロ宣言は朝鮮人の「奴隷状態」に言及し、朝鮮は連合国の敵ではなく、日本の侵略の犠牲者であることを認めていた」。「ところが、9月4日、第24軍司令官ホッジが麾下の将兵にくだした通告では、朝鮮は「合衆国の敵」であると突然かわった」

・ 1945.10.25 外務省 「聯合国の対日要求の内容と其の限界」・・・「朝鮮に付(日韓合併条約、韓国併合宣言に対し今日迄米・英・蘇の何れよりも異議ありたることなし)

・ 1950.5 外務省の平和条約の経済的意義」のなかで「日本は敗戦の結果、朝鮮、台湾、樺太、関東州、南洋諸島などを放棄することとなった。先ず指摘したい点は、日本のこれらの地域に対する施設が決して世にいう植民地に対する搾取政治と目されるべきものでなかっことである」

・ 1965 日韓基本条約では、「日本政府の見解と、第二次日韓協約や併合条約が日本の強制によるもので、本来無効であったという立場をとった韓国政府の立場が鋭く対立した」。その結果、日韓共同コミュニケにて、過去の関係に対する反省を椎名外務大臣は述べ、日韓基本条約は第二条で、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」という、日韓の認識が異なるまま玉虫色の解釈を可能とした

・ 佐藤首相の国会答弁でも、「条約であります限りにおいて、これは両者の完全な意思、平等の立場において締結されたことは、私の申し上げるまでもございません」と、日韓併合を正当化している。それが現在にいたるまで続いている。

・ 「朝鮮侵略の正当化は、つぎに中国東北地方への侵略を、さらに中国本土、東南アジアへの侵略を正当化することにゆきつく」。そして、「太平洋戦争は「日本がついにはめ込まれた戦争である。戦争に引きずり込まれたのは日本だった」」という歴史認識に行き着く





中塚明「近代日本と朝鮮第三版」(三省堂 1994.5.10)

Ⅰ 近代の幕開け
Ⅱ もう一つの民族独立の構想
Ⅲ 「義戦」の名のもとに
Ⅳ 極東の憲兵
Ⅴ 「韓国を廃滅して帝国領土の一部となす」
Ⅵ 朝鮮をおおう「独立万歳」の声
Ⅶ 膨張する野望
ⅷ 崩壊する大日本帝国
Ⅸ 朝鮮侵略の歴史をどう見るか
Ⅹ ある韓国人牧師の憂慮


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