山崎雅弘「歴史戦と思想戦」

産経新聞などが展開した「歴史戦」を読み解き、それに対する反論を丁寧に展開している。 筆者は、「歴史戦」が「先の戦争中に日本政府が国家として展開した「思想戦」や「宣伝戦」の継続なのではないか」と洞察している。 ケント・ギルバート氏や黄文雄氏などの「歴史戦」の論客たちの論、というよりはむしろ「トリック」は、筆者の分析で、たわいないものと分かるが、それが多くの人々に受け入れられ主流の論になるとしたら恐ろしいことである。

「ケント・ギルバートは「米国カリフォルニア州弁護士」を名乗る人物ですが、「まだ裁判で立証できるほどの物証を握っていない」にもかかわらず、伝聞と憶測だけで、基地反対運動の参加者を「中国に金で雇われた人間」であるかのように書き、「日当は一口二万円」という金額まで挙げて、あたかも基地への反対運動が「中国政府が背後で糸を引く謀略」であるかのような「ストーリー」へと受け手を誘導しています」。「歴史戦」論者は、背景に中国や共産党、古くはコミンテルンなどの共産主義の謀略説をなんの証拠もなく提示する。

ケント・ギルバート氏の以下の語り、「共産勢力はソ連と中国だけでなく、アメリカや日本の共産党とも背後で完璧且つ緊密に連携しながら、日本をあの戦争に追い込んだ上で完膚なきまでに叩きのめしたのです。見事な謀略です。「性善説」の日本人に対抗できるはずがありません」。に対して、筆者は、ということは、「東南アジアが戦後に独立を勝ち取ることが出来たのは、「コミンテルンなどの共産勢力のお蔭」ということになりませんか」と、皮肉で笑うかのようだ。更に、「当然そんな謀略にひっかかった近衛内閣や東条内閣の「大失態」の責任は厳しく問われなければならないはずです。ところが、(中略) まったく批判していません」とその矛盾を衝く。

ケント・ギルバートはGHQのWGIPもコミンテルンが仕込んだというが、「1943年5月15日に解散したコミンテルンが、いったいどうやって1945年の日本敗戦後における日本国内での政治的変動に関与できたのか」と、素朴な疑問を筆者か提示する。

共産主義者と言わないまでも、彼らも、ケント・ギルバートも「戦前と戦中の「大日本帝国」に対して批判的な人間を十把ひとからげにして「左翼」と決めつける」。そして、「左翼の人々は、日本の過去をすべて否定し、文化や伝統を軽視し、歴史を捏造し、社会の中の価値観を徹底的に破壊することに専念した」という。そんなに破壊されていないとも思うが、「大日本帝国」に批判的な人をすべて「左翼」とと分類することにも驚きである。保守主義者も自由主義者も「左翼」か。

ケント・ギルバ―ト氏は「まともだった日本人を無意識的で無自覚な左翼思想へと洗脳したのは、戦後のメディアです」とも語っているらしいが、「まともだった日本人」とは戦争中の「大日本帝国の思想体系に適応した日本人」のことで、「左翼思想」とは「大日本帝国」に対して批判的あるいは否定的な思想を指す言葉です」と、あまりの単純化、言葉のトリックに唖然とする。

筆者はケント・ギルバート氏の言葉を使って、こんなトリックを明かしている。「日本人が日本を擁護する発言や行動をとると、それを最も批判するのは日本のマスコミです」。これを筆者が解読すると、「「戦後の日本人」が「大日本帝国」を擁護する発言や行動をとると、それを最も批判するのは「戦後の日本国」のマスコミです」を。これなら、「何の不思議もありません」。つまり、「日本」と総称しているが、いつの時代の日本のことなのかによって話が変わる。

「歴史戦」論者は大東亜戦争の目的はアジア解放とよく言うが、ケント・ギルバート氏もこういう。「70年前のこの世界に日本人がいてくれなければ、東南アジアやインド、アフリカなど、世界の多くの人々は今日もまだ、欧米の植民地として奴隷のような扱いをされていた可能性が高い」と。筆者は、こんな反論を語る。「日本軍は東南アジアの各地には侵攻しましたが、中近東やアフリカ大陸には全く侵攻していません。にもかかわらず、中近東やアフリカの植民地は東南アジアの植民地と同様、第二次世界大戦後に独立を獲得出来ました。それは、なぜでしょうか」。あまり気持ちのよい反論でもないけれど、植民地の解放は、日本のせいではなく英仏の弱体化のせいだと。

実例をいくつか引用してみたが、これらはごくごく一部であって、教育勅語、従軍慰安婦、南京虐殺 ・・‥等々、「歴史戦」が対象とする話題を要約すると、「つまり、「歴史戦」とは、歴史問題についての言論活動であるのと同時に、戦前と戦中の「大日本帝国」と同様の「権威主義国」に、日本を再び戻そうという政治運動の重要な一側面、あるいは一戦線であると読み解くことができます」、という説が正解だろう。 歴史学とは異なるのである。彼らにとっては、日本対韓国・中国などの「戦い」なのだろう」「自分のアイデンティティを「大日本帝国」と結びけて考え、「大日本帝国」は間違ったことをしていないという「結論」から逆算して思考する」



そのた、本論と離れても興味深い話題を挙げておく。

・ 「30万人という中国側の主張の信憑性は、南京で日本軍人が中国人の市民や捕虜を虐殺したか否かとは違う次元の話ですが、産経新聞は「歴史戦」で、このふたつを結びつけた上で、前者の信憑性が疑わしいがゆえに「南京虐殺はなかった」という、受け手を間違って方向へと誘導するミスリードのテクニックをしばしば使っています」

・ 「全体の一部分は、あくまで一部分でしかありませんが、その一部分に過剰な光を当てたり、そこだけをクローズアップすることにより、一部分が「全体」であるかのような錯覚が生まれます。そうした錯覚を利用して、自軍に有利な「戦いの構図」を創り出すのが、「歴史戦」の文脈で多用される「基本戦術」です」

・ 2012年2月20日 河村たかし名古屋市長は、「一般市民のいわゆる虐殺行為はなかった」と発言、その後、2012年8月3日産経新聞朝刊に、「私たちは、河村たかし名古屋市長の「南京」発言を支持します」と掲載されている。石原慎太郎など。

・ 「戦後の日本人が謳歌した自由や繁栄は「大日本帝国が戦争をしたから」もたらされたものでも「軍人が守ってくれたもの」でもなく、酷な表現にはなりますが「大日本帝国が戦争に完敗して、日本軍人が守ろうとした当時の価値観や思想体系が日本社会の表面から一掃されたから」得られたものであることが分かります」。そう特攻や兵隊が犠牲になってくれたからではないのだ。

・ 曽野綾子や稲田朋美をはじめ、現代に失われたが今でも適切な良いことが和割れているとして、必ず「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、他人に博愛の手を差し伸べ・・・」という教えを示す。しかし、これらは、「「教育勅語にしか書かれていないもの」でしょうか?」と筆者は反論する。そして、彼らにとっては「教育勅語に書かれた「良いこと」を抜き出して別の名前で教材化したのでは意味がありません。教育勅語が帯びる権威そのものに意味があるから」と指摘する。
 


そして、「従軍慰安婦」に関わる以下の筆者の解説は、もっと世の中で知られてよい話だ。しかし、大手メディアは、決してこのような話はしない。「歴史戦」論者が努力しなくとも、メディアが何の感度も持っていない。

・ 「英語圏においては、”Comfort Women”という言葉は「第二次世界大戦中の日本軍による性的奴隷状態(sexual slavery)にあった女性や少女」や「日本軍人への売春を強制された女性や少女」を指す意味でしか使われていない固有名詞です。軍人相手の娼婦を指す一般的な用語として、この言葉が用いられることはありません」

・ 「女性の人権が尊重される文化圏では、(中略) ”comfort”(慰安、快適)という「それを利用する男性目線」で呼ぶことに、強い抵抗感と嫌悪感を覚えます。 (中略) ”Comfort women”と”Sex slaves”のふたつしかなく、どちらかを使わざるを得ないとしたら、当然後者を選びます」

・ 「アメリカの市民や地方自治体は、この「慰安婦像」について、特定の国が別の国を政治的に攻撃するものだとは認識していません」



山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社新書 2019.5.22)
はじめに
第一章 「歴史戦」とは何か
第二章 「自虐史観」の「自」とは何か
第三章 太平洋戦争期に日本政府が内外で展開した「思想戦」
第四章 「思想戦」から「歴史戦」へとつながる一本の道
第五章 時代遅れの武器で戦う「歴史戦」の戦士たち
おわりに







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