チョ・セヒ「こびとが打ち上げた小さなボール」

なかなか独自の雰囲気を持った、寓話的な物語だなと感じつつ読み進めていたら、この小説は最近創作されたものではなく、70年代後半に書かれたもので、それも有名なロングベストセラー作品と知って、寓話などではなく、きわめてリアルな物語なんだと理解した。 しかしリアルな物語をリアルには描くことは70年代、80年代にはできなかった。軍事独裁政権は反体制的な、労働問題に声をあげる人びとや、底辺の人びとの覚醒の物語など、決して許しはしなかったろう。おそらく、そういう時代背景も、この寓話的な語り口を生んだ理由のひとつなのだろう。

主タイトルの短編を含む約10編の短編集になっているが、70年代後半、それぞれの短編が数種類の雑誌に別々に発表されたという。もし官憲が何らかの措置を執ったとしても影響が限定されるからだという。軍事独裁政権にはそれだけの周到さが必要だった。にもかかわらず、エピローグにいたるまで、みごとにつながっている。 

時は漢江の奇跡と言われた朴正煕独裁時代、江南の再開発事業が盛んで、スラム街のような既存の街が潰されて高層マンションが建設されていった。潰されるスラムの住人は、新しいマンションの入居権を得られたが、入居しても彼らが毎月の賃料を払えるはずもなく、入居権をブローカーにできるだけ高く売って、どこか別の街に行くしかなかった。

家を失ったこびと一家は、父親のこびとがえかとっか煙突から転落して死に、母親と子どもたち、長男のヨンス、次男のヨンホ、末っ子の妹ヨンヒは、新たな生活をウンガン市で始める。そこは仁川をモデルにした工業都市で、子どもたちはウンガングループの工場に見習工などとして働き始める。しかし、そこは法を無視した過酷な労働を強いる地獄だった ・・・・。 

巻末に作家の言葉や、解説、訳者のあとがきが添えられている。 

作家の言葉は衝撃的だ。「皆、はっきりとは言わなかったけれども、そのときわが国は、人類が貴重な価値観と認めているものをすべて否定するような状況であった。ソモサに蹂躙されたニカラグア、アミン統治下のウガンダ、ンゲマ支配下の赤道ギニアと変わらなかった。私はいまも、朴正煕・金鍾泌(パク・チョンヒ・キム・ジョンピル)らこの国にクーデターの扉を開いた第一世代の軍人たちが武力で権力を握り、血なまぐさい独裁を続けなかったら、「こびとが打ち上げた小さなボール」は生まれなかっただろうと思っている」。 

徴用工裁判などでは、日本政府は1965年の日韓基本条約と請求権協定に固執している。 しかし、朴正煕政権は、ウガンダのアミン政権と変わらないって・・・日本人の自然な感情では、アミンとの条約に殊更固執するとしたら、それはちょっとまずいかなと思わないだろうか。

また、この本には、「せむし」とか「こびと」とか「いざり」などの言葉がごく自然に出てくる。最近あまり日本国内では聞かない。これについても解説者が、「韓国は日本とは比較にならないほど、文化人類学でいう<冗談関係>が柔軟に成立している社会であり、日常の会話における差別用語の意図的な使用が親密圏の相互確認であるといった場合が決して少なくないからだ」とも言い、更に社会的に、「1970年代に生きることを余儀なくされた知識人と芸術家は、透明な健常者の視点のもとに社会を描くことの困難さに向かい合うことから、創作を開始しなければならなかった。彼らは意図してみずからを「病身」と見なし、片輪者と畸形のみが持ちうる孤独を引き受けることで物語を綴ろうと試みた」と解説する。それが本当なのかどうか、私には分からない。

いずれにしろ、読む価値のある物語ではある。


チョ・セヒ「こびとが打ち上げた小さなボール」(河出書房新社2016.12.30)
メビウスの帯
やいば
宇宙旅行
こびとが打ち上げた小さなボール
陸橋の上で
軌道回転
機械都市
ウンガン労働者家族の生計費
過ちは神にもある
クラインのびん
トゲウオが僕の網にやってくる
エピローグ
作家の言葉
解説
訳者あとがき

<メビウスの帯>
生徒に一番人気のある教師がはなむけの話として、メビウスの帯を例に出しながら、裏と表の話をする。70年代、スラムをつぶして大規模な再開発を進める国家と大資本、それに乗って汚いぼろ儲けをする開発業者、スラムの住まいを潰されたいざりとせむしが、復讐を目論む・・・・

<やいば>
新興住宅地の安普請の家に住むシネは、夫のヒョヌも自分も、なんだか「こびと」のようだと思う。ロクに水道の水も出ない家で、苦しい生活を続ける。隣家は安月給のはずなのに羽振りのよい公務員家族だったり、製菓会社の管理職は大きな音でテレビをつけっぱなしにしていたり、迷惑この上ない。そんなある日、ほんとうのこびとが、蛇口を付け替えればもっと水が出ると売り込みに来て・・・・

<宇宙旅行>
ユノの父親は朴正煕政権の法律家、祖父の友人の孫のチソプを家庭教師として連れてきた。チソプの祖父は日本の憲兵を殺して大変な経験をした人だ。チソプは貧しくどぶ川のスラムに住んでいた。ユノはチソプが好きで、チソプの住む町でこびととも知り合いになった。しかし姉と父親にチソプが追い出されてから、ユノは道を誤った・・・・

<こびとが打ち上げた小さなボール>
江南の再開発のために、こびとも家を手放す時期になった。息子たちは、印刷工場で働いていたが首になった。こびとは、もう体力気力が衰え、仕事もせずチソプと本の話ばかりして月に行くと言う。娘のヨンヒは父母が苦労して守った家族の家がなくなることに耐えられない。母親は入居権をできるだけ高く売るタイミングを計っていた。借金を返したらいかほども残らない。どこかこの世界は間違っている・・・・

<陸橋の上で>
シネは陸橋の上で弟の友達の会社を見ていた。弟とその友達は親友同士であって、学生新聞を作っていた時から、ともに闘っていたがその記事は主幹に握りつぶされていた。主幹の祖父は日本の韓国支配のために働いていた男だった。そしていま、あの主幹は企業の大物になっていて、友達は誘惑されていた。そう弟に告げたとき、友は離れていった。いま弟は病院で病んでいる・・・・

<軌道回転>
ユノは父親の勧める大学に行かないと決め、父親も諦めた。「労働手帖」を持っているユノをみて、富裕な屋敷に住むお嬢様のキョンエが声をかけた。教会の集まりで「十代の労働者」について議論するから出てくれと。その研究会では、誰も十代の労働者に興味を持ってはいなかった。ユノはキョンエに、こびとの子ども達はキョンエの祖父が経営する工場でどれほど不法な労働を強いられてきたかと話す・・・・。

<機械都市>
ユノが女の子にこびとの話をすると、耳傾けるのはウニだけだった。こびとの長男はウンガンの工場群の過酷な労働環境の無法さに、ユノの家近くに住むウンガングループの経営者を殺しに行くと言い張った・・・・。 

<ウンガン労働者家族の生計費>
こびとの長男はウンガン自動車に、次男はウンガン電気に、そして妹のヨンヒはウンガン紡績に訓練工としてはいった。苛酷な職場だった。しかも残業代も支払われず、多くの違法行為がなされ、こびとの長男は、組合の支部長にかけあったが、組合は労働者の味方ではなかった・・・・

<過ちは神にもある>
こびとの長男ヨンスは、労働問題を勉強した。組合の支部長は転勤となり、新しい支部長は若い女の子ヨンイで会社側は何も問題がなくなったと理解した。しかし、ヨンスはヨンイに労働問題を懇切丁寧に教えていった。その結果は最初の労使交渉であらわれた・・・

<クラインのびん>
「世界においては、閉じ込められていると思うこと自体が、錯覚だ」と、「科学者」から教わったクラインの瓶を見て、僕は知った。ウンガングループの南部で働いていたチソプはいま、労働運動の指導的立場にいて、チソプに会った僕は変わったと周りから言われた。ある程度の賃上げを獲得したヨンイたちの背後には僕がいたと会社はわかった。そして経営者たちはすべてを潰そうとやってくる・・・

<トゲウオが僕の網にやってくる>
僕は、親がこびとだった工場の従業員ヨンスに殺された経営者の息子。彼ら、無知で汚らしい労働者たちはみな殺してしまえばいい。こんな裁判などする必要もない、そう思う ・・・・

<エピローグ>
数学教師の話だった。せむしといざりは、自分たちを騙して公演の売り上げをみな持ち逃げした興行師の社長を追いかけて殺しに行こうとした。 そこにホタルが飛んでくる・・・・


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