大澤絢子「親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか」

親鸞が語られるときの「六つの顔」について。それだけの顔があるということは、つまり、親鸞が何者なのかよくわかっていない、ということでもある。実在否定説まであったとか。「親鸞という実在の人物に絡みついた無数の糸を解きほぐし、「如来の化身」・「法然の弟子」・「説法者」・「本願寺の親鸞」・「妻帯した僧」・「「歎異抄」の親鸞」という、親鸞の「六つの顔」がなぜ、そしてどのように生まれたかを明らかにすることで、親鸞像ができ上ったプロセスをたどり直す」のが本書の狙いのようだ。

深く読み進める読者には、その狙いは成功しているかもしれないが、私のように上っ面しか読まない読み手にとっては、そんなに複雑にしなくてもよいではないかと言った印象が浮かぶ。というのも、もともと親鸞探求のインプットは、「親鸞のひ孫にあたる覚如が制作した、「親鸞伝絵(でんね)という絵巻物」、教行信証、歎異抄くらいしかないのだから。次いでそれらをもとに生まれた親鸞像と、派生してできる評論や小説など、つまり創作物なのだから。虚構の作り物の分類をしているようにしか見えないのだ。

アトランダムに挙げていくと。。。

・ 覚如は、浄土真宗の教えの系譜(法然-親鸞-如信-覚如)を強調、「法然の正統な弟子」、「説法者」、「如来の化身」、そして「本願寺の親鸞」を強調したのは、やはり、教団組織を強固にしたかったのだろう。

・ 「月輪殿(月輪天皇/兼実)の願いを聞き入れた法然によって妻帯を勧められた親鸞は当初、固辞したものの、法然は六角堂で親鸞が受けた夢告の内容を知っており、それを持ち出して妻帯を促がした。相手は月輪殿の七番目の娘で、名前は玉日。そのとき親鸞は38歳、又は29歳で、妻の玉日は、六角堂で親鸞が受けた夢告に出てきた救世菩薩、あるいは六角堂の本尊の如意輪観音の化身である—-」とされる。月輪殿下(兼実)の求めは「出家の念仏と在家の念仏では違いがないこと」の証明だった。 親鸞の妻帯は「師である法然の命によって仕方なく」であるから「責任は親鸞にはない」

・ 暁烏敏(あけがらすはや)は、「歎異抄」の「新しい読み方」を提供した。「真面目に自己省察をし、厳格に自己を判断し、自己の罪悪に泣く人でなければ解せられないのである」と述べ、「自己内省と罪悪の自覚」、「他力を重視」し、暁烏の親鸞は「自分は何にも知らぬもの、わからぬものであるとの立脚地に立った人物」であり、「愚かで無知であることを自ら宣言」している。 だから、「もし歴史上の親鸞聖人が、「歎異抄」のやうな意見をもたなかつた人であるとすれば、私はそんな親鸞聖人には御縁がないのである。何等の関係もないのである」という

・ 「「歎異抄」の教えを戯曲化して大ベストセラーとなったとされる倉田百三の「出家とその弟子」」を契機にして親鸞ブームがまきおこるが、「倉田にとって聖者とは、(中略) 「罪の中に善を追ひ、さだめのなかに聖さを求める」者である。それは浄土真宗の宗祖親鸞でもなければ、自分が悪人であることに苦悩し続ける親鸞でもない。倉田にとって親鸞とは、キリスト教にもとづく普遍的な愛を理想とし、そこへ至るための善を志向し、ひたすら努力を重ねる存在なのである」

つまり、暁烏の親鸞も、倉田の親鸞も、創作された親鸞にすぎない。 
そして、以後の、いろんな作家の描く親鸞も、同様である。

・ 石丸梧平の「人間親鸞」は、「親鸞のやうにほんとうに自己を見つめて生きよ」と、「その上で、欲望を捨てきることができない自己という「醜い事実の上に立って自己を少しでも高めて行くこと」を、人間としての理想の生き方だとする」

・ 五木寛之の「親鸞」のシリーズは、「身分や職業を都内さまざまな人と出会い、数々の経験をしながら、事故と向き合い、自らの罪悪に気づき、人間とは何かを問い続ける人物として描かれる」

そのほか、吉川英治「親鸞」、井上雅彦「親鸞屏風」、三国漣太郎「白い道」、津本陽「親鸞」、石井ゆかり「親鸞=Shinran」、四方田犬彦「親鸞への接近」、中島岳志「親鸞と日本主義」 ・・・・ など、日本人は親鸞が好きなのだというしかない。 しかし、以下のような親鸞の思想は理解が難しい。私には、それぞれ勝手な親鸞を描いているとしか思えない。 

「親鸞の思想は、念仏すれば誰でも極楽浄土へ行くことができるという、シンプルなものである。しかし念仏しようという気持ちは自発的に起こるものではなく、阿弥陀仏によってもたらされるものとされる。念仏を称えれば称えるほどいいのではなく、極楽浄土へ行くことが阿弥陀仏によって既に誓われているからこそ、念仏が称えられるのだという。信じる気持ちが起こった時に、極楽に往生することも決ま野だともいう」




大澤絢子「親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか」(筑摩選書 2019.8.15)
序章 あふれ出す親鸞
第一章 「宗祖親鸞」の起源
第二章 「宗祖親鸞」の決定版とは?
第三章 「妻帯した僧・親鸞」の誕生
第四章 「「歎異抄」の親鸞」と「私の親鸞」
第五章 大衆化する親鸞
第六章 現代の親鸞像
終章 日本人はなぜ親鸞に惹かれるのか



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