吉見義明「買春する帝国 日本軍「慰安婦」問題の基底」

副題に「日本軍「慰安婦」問題の基底」とあるように、いわゆる「従軍慰安婦」についてはほとんど触れずに、その「基底」となる、一般の性の売買について、その制度や運用を資料で追求しながら、その根底に潜むものを追っている。

プロローグに記述された二つの文章ですべてを語っているようにも思える。

「日本は明治維新直後の1872年に「太政官布告」第295号を公布して性買売のための人身取引を禁止したのに、その後もなぜ人身売買はなくならず、遊郭も歴史貫通的に第二次世界大戦後まで継続したのかということである。なぜそうなったのであろうか。そこには、買春を必要と考える政府・陸海軍・政治家や性売業者たちの意思と性買売を支える構造がある」

「日本では2015年12月の「日韓合意」で解決したという考えが広がっているが、国際的には必ずしもそうではない。 重大な人権侵害の解決のためには、事実の徹底的な究明、その事実を認定した上での謝罪、賠償、再発防止措置の実行(教育、記念碑・記念館の設置など)が必要であることは国際的な常識となっているが、日韓合意では、首相の事実認定を伴わないあいまいな謝罪と、賠償ではない金銭の支払いが行われただけだからだ」・・・女性に対する抑圧の問題を無視する考え方は、近代日本の性買売の歴史の中で形成され、維持されてきたのではないだろうか」

つまり、簡単に言えば、この国の政治に携わるものは、おしなべて、売春・買春は、ごく自然・当たり前のことであって、日本の男社会にあってはしようがないものだ、という認識が続いていた。西欧社会からの女性児童に対する人権あ力のために仕方なくすこしずつ制度的に売春・人身売買・性奴隷を規制していったという構図が見える。最終的には、戦後のGHQの指示や売春防止法にまで続くが、それでも実態はどうか、わからない。

そして、最近でも、こんな報告があるらしい。

「2002年にアメリカ国務省は、主としてタイ・フィリピン・旧ソ連から(少数ながら韓国・マレーシア・ビルマ・インドネシア・コロンビア・ブラジル・メキシコからも) 女性と児童が、性的搾取と強制労働のために、人身取引されて日本に連れてこられており、日本では人身取引が広く行われている、と報告している」



簡単に、歴史を負いながら、トピックを拾っておく

・ 「遊女(娼妓・芸妓)が、遊女屋に人身拘束されている状態(性奴隷状態)を変えるために、明治政府が選び、土着化した方法とは、性買売を禁止することではなかった。遊女屋を貸座席業者とし、遊女は性買売のために貸座敷を借りて営業する性買売の主体とする、というものだった。 こうして、性買売は公権力によって公認されることになる」つまり、日本お得意の隠蔽と言葉の言替えだ。

・マリア・ルス号事件で、清国人を拉致したベルーから、日本にはもっと拘束的な娼妓契約が行われていると反論され、「司法省・大蔵省・左院・太政官ともに、「人民自主の権利」を保護するために芸娼妓解放令が必要だと考えていた」ため、「1872年10月に太政官と司法省はあいついで娼妓・芸妓などの人身売買を禁止する、いわゆる芸娼妓解放令を出した」

・ 福沢諭吉の論では、「男女の関係に於ては」、徳川時代の儒教主義に問われた品行も及ばず、戦国時代以来の武士の「不品行は収まらず、之が維新以降社会に一般化した」「売淫社会」なので、「公娼制は社会の秩序を守るために必要だ」と、娼妓の力をかりて、社会の秩序を維持すべきだと考えた。「娼妓は、親鸞・日蓮の功徳に比すべき、身を捨てて「衆生済度」に供する仁者というのである」いまならひどく身勝手と批判されるだろう

・ 芸娼妓解放令は1898年6月に公布された民放90条に吸収された。ある娼妓の訴訟で、善良なる風俗とは言えない醜業の、それも自由を拘束する契約は無効であり、業者は廃業届ら連署拒否はできないという、判決がでた。 

・ 「日本が台湾に公娼制を設置した理由」は、在台日本軍兵士に「娯楽」を提供するため、性病蔓延予防策・アヘン中毒予防策、日本からの移民を定着させる手段で、台湾の守備隊に向けつくられた、飲食や歌舞を伴わない、安く短時間で済ませるための軍用の性的施設、公認「私娼制」とでも呼ぶものが、日本軍慰安婦制度の原型となった

・ 「植民地化する前の朝鮮や、満州・中国本土などでは、「帝国の体面」を損なうことを恐れて、公然と貸座敷と娼妓を置くことを許可しなかった」。しかし、貸座敷を貸席など、娼妓を酌婦などと呼び変え、公認しつつ、対外的に隠蔽した

・ 1904年10月に料理店取締規則を制定、日本内地の貸座敷を第二種料理店といいかえ、娼妓を芸妓といいかえた。それが「1916年3月には、朝鮮全土に共通する統一的な貸座敷娼妓取締規則が朝鮮総督府によって制定され、公然と貸座敷・娼妓という用語を用い始めた」

・ 1907年刑法第226条「帝国外に移送する目的」をもって人身売買を罪にしたが、「帝国内での人身売買は犯罪とはされなかった」

・ 1920年1月 国際連盟ができ、日本も常任理事国となったため、「女性の人身取引の問題は、日本が避けて通れない問題となった」

・ 大震災で遊郭が壊滅、それを契機に、郭清会・婦人矯風会・基督教連盟・基督教青年会同盟などが遊郭復興反対の嘆願書を提出

・ 女性児童取引禁止条約は不徹底な議論のまま批准され、1927年に年齢に関する留保は撤回したが、植民地等への適用除外は撤回しなかった。「このため、朝鮮・台湾・関東州・南樺太・南洋諸島からは、女性たちはほとんど制限なく海外に人身取引される状態が続くことになった」

・ 1920.6現在の在外日本人性売女性数をみると、中国4967、シンガポール1136、バタビア1063、シベリア546、香港246、カルカッタ193・・・・これは意外だ。こんなにあちこちに。英米蘭の方針転換に協力して東南アジアと香港は急速に減少してゆく。

・ 1933.4 国際連盟女性児童諮問委員会は調査ののち、公娼制度に問題を表明。1934 女性取引防止委員会において、公娼制度維持国に対する廃娼勧告を理事会に依頼する決議に賛成し、廃娼は避けて通れなくなった、しかし芸娼妓酌婦等周旋業(女衒・判人・桂庵など)を廃止する意思はなかった

・ 1933.10.11 青年女性取引禁止に関する国際条約調印、しかし署名は見合わせた? 「もし、この条約を日本が批准していれば、日本からの軍慰安婦送出はできなかっただろうし、植民地除外宣言を撤回していれば、朝鮮・台湾・中国からの慰安婦送出も困難となっていただろう。しかし、そうはならなかった」

・ 1942.5.8 小売業整備要綱決定・・・第一次に整理統合を行うべき業種として麻雀倶楽部、カフェー・バー・周旋屋

・ 1942.7.29 未婚女性を生産方面に動員するため、芸妓・娼妓・酌婦・女給等の数の増加を認めないことを通牒

・ 1944.2.29 「高級享楽停止に関する具体策要綱」・・・高級料理店、一部の料理店、高級待合、一部の芸妓置屋・芸妓、一部のカフェー・バーの休業を指示

・ 日中戦争以降、「軍慰安婦制度が拡大していくが、その法的裏付けは、陸軍の場合、1937年9月29日の「野戦酒保規程改正」だった」(必要なる慰安施設をなすことを得)。拡大の動機は、現地軍人・軍属による強制性交を防止する(実際は逆効果だった)、軍人・軍属が性病に掛かることを防止する(検査も目視だけでほとんど効果なかった)、軍人・軍属の不満解消、スパイ防止

・ 敗戦直後、警視総監の「坂総監は、署長会議で「アメリカ兵のために南京のこと(強姦、虐殺)のようなことがあってはたまらんから、しっかりやってくれ」と指示したという」

・ 公娼廃止にともない、「1947年1月15日に警察犯処罰令を改定し、「売淫」した者を処罰できるようにした。(中略) 性買男性(買春者)を処罰するという発想はなかった。敗戦と民主化のなかでも、内務省にとっては、買春を問題にすることは思いもよらないことだったのだ」

・ 「1947年に職業安定法が成立し、第32条で「何人も、有料の職業紹介事業をおこなってはならない」とされ、公然とした芸娼妓酌婦等の紹介業はようやくなくなった。 しかし、刑法には、国内での人身売買罪はなく、人身取引はなくならなかった」

・ 「1948年には風俗営業法が施行された。この法律によって、赤線の特殊飲食店と従業婦は、カフェーと女給という呼称になり、この呼称の下で性買売が容認されていった」

・ 1955.10.7 最高裁「前借金は消費貸借契約として有効であるとする判決を取り消し、契約は全体として無効であるとする判決」

・ 1956年5月2日 政府提案による売春防止法案が国会に提出され、衆参両院で可決され、21日に成立した」




吉見義明「買春する帝国 日本軍「慰安婦」問題の基底」(岩波書店 2019.6.26)

第Ⅰ章 人身売買禁止から公娼制へ 幕末~1894年
第Ⅱ章 買春帝国の成立 1894年~1905年
第Ⅲ章 買春帝国の確立 1905年~1918年
第Ⅳ章 買春帝国の変容 1918年~1931年
第Ⅴ章 大恐慌・満州事変下の買春帝国 1931年~1937年
第Ⅵ章 買春帝国の極限化 1937年~1945年
第Ⅶ章 公娼制廃止から売春防止法体制へ 1945年~1958年


芸妓・・歌舞音曲などの芸により料亭・待合茶屋などの酒宴の席で客をもてなす女性
娼妓・・貸座敷で客に性売することを公認された女性
酌婦・・料理店の酒宴の席で客の接待をし、ひそかに性売する女性


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