山折哲雄「老いと孤独の作法」

山折哲雄氏の著作はよく目にしていて、基本的には信頼に足る哲学者だと思っている。 ただ、仏教哲学とそれに裏打ちされた思想を好ましいものとして受け止めてはいるが、決してよく理解しているわけではない。 この新書本は、2005年から2018年にわたって文藝春秋などに掲載されたものをまとめている。とくに根幹の議論があるわけではないので、興味を惹いたものをいくつか挙げておく。

・ マヌ法典の「四住期」は、「学生期」・「家住期」に次いで、「林住期」(仕事や家族を捨て当てもない旅にでて、初めて自分の好きなことをするために生きる)、「遊行期」(知識財産を周りに還元して、死への最終準備) がある。 「林住期」と「遊行期」は、いわば第二の人生で、第二の人生をうまく生きた人として、西行、雪舟、芭蕉、一茶、良寛などを挙げられる

・ 一人暮らしと言えば、まず思い浮かぶ鴨長明の方丈庵は二つの空間をもっていて、歌や文章を創り出す芸術空間、源信の「往生要集」を置く宗教空間である。 「比叡山や高野山といった場所で修行をして学問を積み、多くの人々に尊敬されるような生活を拒否し」、「こうした隠者のなかの隠者こそ、長明が憧れた聖の生き方だった」

・ 「良寛が座右に置いた書物はふたつあった。一つは「万葉集」。広く自然などを詠んだ雑歌、故意の歌である相聞、死者を悼む挽歌があるが、良寛にとって重要だったのは挽歌である」、そして、「もうひとつは、敬仰していた道元の「正法眼蔵」」

・ 種田山頭火の句に、こんな句があると初めて知った。「うしろ姿のしぐれてゆくか」、「どうしようもないわたしが歩いている」。 ぜひ、山頭火の句集を一度眺めてみたい

・ スマナサーラ氏をはじめ、私が大変興味を持っている「釈迦の仏教、あるいは上座部仏教は、仏の教えを現実の生き方にそのまま適用しようとする」。「一方、悟りにもいろいろある、救いといってもさまざまあると、さ迷い歩いてきたのが、大乗仏教の歴史ということになる」

・ 「観音はインドで誕生したときには男性の姿をしていた。それなのに日本に定着するころには、いつのまにか観音はどんどん女性化していった」。柳田国男は、「これを母子神信仰としてまとめている」、なんとなく、これはいいことのように思う。

・ 「人の霊魂は死後に山に上り、やがて共同体から祀られ、共同体を守護する氏神や祖先神となる。かりにこのような古人の死生観を下敷きにして人間のライフステージを考えると、神への最短距離に位置するのが老人である。老人は死を媒介にして神になる」

・ 「巣鴨の父」と呼ばれた田嶋隆純は、二代目教誨師として、主としてBC級戦犯の減刑嘆願に力をつくしたらしい 

・ 「大正天皇の「終焉」のときも、崩御後ほぼ二か月の「殰」の期間があり、「大喪儀」から約一年九か月後に「即位の礼」と「大嘗祭」がおこなわれた」。「じつはこの喪儀の進め方は明治天皇の「終焉」のときに創始された新式の殰、喪儀を踏襲するものだった」。 ここでも、「伝統」と言われるものが、古来からの伝統ではなく、明治からのものだとわかる。 「明治天皇の先帝孝明天皇の喪儀では、仏教僧が参加する別種の伝統儀礼がおこなわれていたからである」

・ エドワード・サイード「オリエンタリズム」に、「定年」を理解するこんな一節があるという。「植民地で仕事をしていたイギリス人行政官は五十五歳になると定年退職して、任地から引き揚げるならわしになっていた。なぜなら東洋人は、年老いて衰えた西洋人の姿を、けっして目にしてはならなかったからである」

・ 司馬遼太郎氏「日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている」




山折哲雄「老いと孤独の作法」(中公新書ラクレ 2018.10.10)
Ⅰ 生老病死を見つめる
    第二の人生を林住期と遊行期に分ける
    一人で生きることの意味と価値
    確信の「小乗」と迷いの「大乗」
Ⅱ 『平成』の終わりに
    二つの神話的物語とそれぞれの戦略
    無常を受け入れてきた日本人の死生観
    日本人にとっての富士山
    「巣鴨の父」田嶋隆純の生涯
    主語を忘れた正義の声
    瘋癲老人が見た日本
    船村徹さんのこと
Ⅲ 天皇の「退位」を考える
    退位表明に宿る「死と再生」の叡智
    「退位」と文明化された「王殺し」
    天皇病むとき、国衰える
Ⅳ 司馬遼太郎の足音に耳を澄ます
    街道を歩け、世界の街道を歩け
    文明の「無常」ということ
    司馬さんの風景
    すでに形をなす司馬さんの核心

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