シモーナ・スパラコ「誰も知らないわたしたちのこと」

愛し合い、夫婦二人とも待ち望んだ子どもができた。29週になって、出生前診断で超音波検査をしたら、胎児の異常が見つかった。骨格異形成証と言われる。出産に耐えられるかどうかわからない、耐えられたとしても長く生きられることは期待できない、医師の一人は、イタリアの法律ではもう中絶することはできないから神様に委ねようという。別の女性医師は、生まれて来る子どもの苦しみを考えてもイギリスなら中絶できると明かす。夫のピエトロは果敢に決断してイギリスに二人で旅立った。クリスマスを三日後に控えた12月21日のことだった。

そして、「最後の小さな一蹴り。あの明るい夜に初めて私を蹴ったときのような、ついうっかりしたような、小さめの一蹴り。その後は、何もない」

夫は気配りを絶やさない。それでも、何とか前に進ませようとすることに妻ルーチェはついてゆけない。

「ある人は「残念なことだけど、よくあることですね」と言い、またある人は「まだ若いんだから、すぐに次の子を作ればいいでしょう」と言う。こうして、なくした子で、残念だけどうまくいかなかった子であるロレンツォが、突然、取り替えが利くものになる。害も与えずに空を横切る流れ星に」

喪失感と罪悪感に苦しみ続けるのを誰も理解できない。 精神科医のカウンセリングを勧められるが、精神科医には、疑念を感じてしまう。「これほど悲痛でこれほど根深い欠乏感を、はたして彼女に感じ取ることが出来るのだろうか、まるで手足の一本が引きちぎられ、ぼろぼろになってぬれそぼちながら崖っぷちに立ち、もはや調和のとれた身体もまともな思考も失った状態を」


人工妊娠中絶・人口死産のことは、正直、想像もつかない。たいへん詳細な記述だから作家の実体験もあるのかもしれない。 それにくらべて夫のピエトロの態度や行動は完璧だ。裕福な家で育てられた、ある種の洗練された倫理観といったものから来る行動は愛情にあふれていて、しかも毅然としている。完璧だ。だからひょっとしたら、実体験のない想像上の産物なのかもしれない。




シモーナ・スパラコ「誰も知らないわたしたちのこと」(紀伊国屋書店 2013.11.18)


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