山本晴太・殷勇基他「徴用工裁判と日韓請求権協定」

2018年10月30日の日本製鐵徴用工事件に対する韓国大法院再上告審判決は、日本政府などに強い反発を招いたが、その流れは、2012年の日本製鐵徴用工事件大法院上告審判決で既に決まっていたことを踏襲したに過ぎなかった。つまり、文在寅政権の方針でもなく、保守の李明博政権の時に既に定まっていた。2018年まで実現しなかったのは、朴槿恵政権に忖度した裁判所がさぼったためにすぎない。だから、日本政府が文在寅政権の意思だと非難するのはすこし違うのだ。

2012年の大法院判決は、「高等法院の判断は日本の植民支配は不法な強制的占領であったという大韓民国憲法の根本理念に反し、植民支配と直結した不法行為に対する損害賠償請求権は日韓請求権協定の対象外であるとして事件を高等法院に差し戻し」たもので、いままで踏み込まなかった植民地支配の不法性に言及し、日韓請求権協定は植民地支配を正当と考える前提の協定だから、それに沿って判断すること自体が誤り、といった感じの判決だ。

この判決に至るまでの日韓両国の考え方の推移も詳しく説明されている。最も興味深いのは、2000年頃に日本政府が考え方を転換するまで、両国はまるでその立場と逆の主張をしていたということだ。 つまり、「当時は加害国の日本政府は被害者の権利は消滅していないと解釈し、被害国の韓国政府は消滅したと解釈していたことになり、両国の解釈は「ねじれて」いた」ことだ。

有名な、柳井俊二氏の証言、「したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」というように、日韓請求権協定は、外交保護権が消滅したもので、個人の請求権は生きている、という判断が日本政府のものだった。 それは別に日本政府が良心的だったわけでもなく、もし条約・協定のために個人の請求権が消滅したとなると、朝鮮半島に財産を残してきた人などから国家賠償請求を受ける恐れがあるからだ。

だから、「日本政府は、この文言は国家の権利である外交保護権(国民が他国の違法行為によって損害を受けた場合に、国家が他国の国家責任を追及する権利) の放棄を意味するだけであって、個人の請求権を消滅させるものではないと解釈していました。 この解釈にしたがい2000年ごろまでは、日本政府が法廷で「日韓請求権協定で解決済みと主張することはありませんでした」

韓国政府は日本政府と同様の考え方に変わっていった一方、2000年頃から、中国人の訴訟で不利な判決が出始めるに従って、日本政府は方針を変えた。 そして2012年の大法院判決とそれに準じた差戻裁判決だ。 これが主な流れである

日本側の反発は、記すまでもないが、「文在寅大統領の「徴用工発言」や2018年の大法院判決に対して日本の政府とメディアは口をそろえて激しく非難し、安倍首相は大法院判決は「国際法に照らしてありえない判断」であると述べた。しかし、韓国で条約の解釈権限を有する大法院が日韓請求権協定の適用範囲を判断するのは当然であり、判決の各意見はともにウィーン条約法条約を基礎づける国際慣習法に依拠して解釈しており、「国際法に照らしてありえない」ものではない」。さらに、「韓国政府に大法院判決への「対処」を要求するという三権分立制度を無視した言説、大法院判決の影響を過大に評価し、日本企業の韓国における活動が不可能になるかのような言説が横行した。そして、一連の韓国非難を何よりも特徴づけているのは、被害者の人権への無関心と植民地支配への反省の欠如である」。

そう、ここなのだ。「被害者の人権への無関心と植民地支配への反省の欠如である」。こうである限り、日韓の間で最終的に解決することはないだろうと私はおもう。「もう国に金は払ったんだから、お前の国の中でやってくれ」という冷たい態度は人権問題の解決にはそぐわない。仮に全員に何らかの補償を加えたとしても、F35一機分にもならないのではないか。


さて、内容が内容だけに、素人の浅知恵で不用意な引用をするのは避けよう。 特に気になったところだけ。 

一連の判決を整理しておく

・ 日本製鐵徴用工事件・・・2018.10.30 大法院 ひとりあたり一億ウォンの支払いを命ずる 4人
・ 三菱広島徴用工事件・・・2018.11.29 大法院 ひとりあたり8000ウォン支払いを命ずる 5人
・ 三菱名古屋勤労挺身隊・・2018.11.29 大法院 ひとりあたり1億~1億5000万ウォンの支払いを命ずる 5人
・ 不二越勤労挺身隊事件・・2019.1.18 ~30 ソウル高等法院 ひとりあたり8000万ウォン支払いを命じる 21人
・ 日立造船徴用工事件・・・2019.1.11 ソウル高等法院 1人5000万うぉん支払い命じる


当時の事情を日本製鐵と三菱の例だけ挙げておく

「旧日本製鐵は1943年頃、平壌で大阪製鉄所の工員募集の新聞広告を出しました。その広告には、大阪製鉄所で2年間の訓練を受ければ技術を習得出来て、韓半島の製鉄所に技術者として就職できると記載されていました」・・・だから「徴用」ではないという早とちりをしがちだが、「政府は1944年2月頃、すでに働いている原告ら訓練工を現員徴用しました。徴用された後は小遣いもまったく支給されなくなり。監視も厳しくなりました」。 実際、2001.3.27「一審判決は、原告らは労働者募集の時の説明に応じて自分の意志で応募したのだから強制連行されたとまでは言えない」、「が、説明された労働条件とは異なり、賃金の一部が支払われず、食糧が不足し、自由を奪われた状態で危険な労働に従事させられたことは強制労働にあたり違法であると認めました」

三菱広島では、「宿舎周辺には鉄条網が張り巡らされ、休日にも憲兵、警察らによる厳重な監視が行われ、自由がほとんどなく、家族との手紙のやりとりも事前検閲によって内容が制限されました。給料からは寮費や貯金が控除され、通帳も渡されませんでした。給料の半分は家族に送られていると聞いていましたが、実際には送られていませんでした」

「三菱名古屋女子勤労挺身隊の被害者の裁判は、1994年3月4日、梁錦徳さんが関釜裁判の第3次提訴に参加したことで始まりました」、「関釜裁判は3人の元日本軍「慰安婦」と7人の元女子勤労挺身隊員が国に謝罪や損害賠償を求めて山口地裁下関支部に起こした裁判です。1998年4月27日の一審判決は元日本軍「慰安婦」については人権回復のための立法措置が遅れたことに対する慰謝料を認める画期的な判断をしたのですが、女子勤労挺身隊については、「勉強もできる、金もできる」などと言う勧誘にだまされ、苛酷な条件の下で辛酸をなめ、民族差別的な取り扱いを受けたことを認めながら、国に救済立法を義務付けるほどのものではないとして棄却しました」


日韓請求権協定に至る過程で特筆することを挙げておく

・ 1951年10月から開始、1965年6月22日締結 まで長期間の協議があった

・ 当初日本政府は、「韓国内に残された日本財産の返還を求めることが国際法上無理な論理であるとは承知の上で、韓国に対して在韓日本財産の返還を求め、対日請求権との相殺あるいは相互放棄をさせようとした」

・ 1953.10.15 第三次会談で久保田寛一郎、植民地支配を合法とする旨の発言で決裂。 のちに、1957.12.31 久保田発言を正式に取り消すことを盛り込んだ日韓共同宣言、第4次会談再開へ

・ 「日本政府は、徴用工などの個人請求権について、国交正常化後、日本の法律に従って個別的に解決するという方針で韓国政府と交渉してきました」。これは善意ではなく、「未払い賃金のように法律関係や事実関係が明白なものだけは補償に応ずるが、戦争による被徴用者の被害に対する補償金などについては、そもそも補償に応じられないと交渉することで、一括補償協定方式により解決する場合の補償金総額を切り下げるための方便だった」

・ 日本政府は未払い賃金など調査をしていたがそれらの資料を韓国側には秘匿していた

・ 「よく、「日本のお金(5億ドルの経済協力)のおかげで韓国は経済復興を成し遂げることができた」という意見がありますが、この当時韓国はベトナム戦争に参戦することでアメリカからも経済援助を受け、1965年から1972年までの間に10億2200万ドルもの特需を得たと言われています。日本からの経済協力支援だけで韓国が経済復興したわけではないことはこの金額を見ればわかる」

・ 「日本政府の解釈はその時々の都合に合わせて変わっていきましたが、被害者個人の請求権が消滅していないという点は最初から変わっていません。それなのに、韓国の大統領が演説でこの請求権について触れたり、韓国の裁判所が被害者の請求を認めると「解決済みの問題を蒸し返した」と非難するのは理屈に合わないことです」

・ 「経済協力資金は韓国国民の請求権の対価として支払われたものではなく、それによって補償(賠償)債務が日本政府・国民から韓国政府に移転したものではないことを明らかにしたのである。そして「請求権協定全体の効果として韓国の対日請求権の問題は解決した」とは下記の事情から見て、外交保護権の相互放棄を意味していると考えるのが妥当」





山本晴太・殷勇基他「徴用工裁判と日韓請求権協定」(現代人文社 2019.9.5)
はじめに
2018年韓国大法院判決をどう捉えるか
第1章 徴用工裁判韓国大法院判決を知る
第2章 背景事情を知る
第3章 日韓請求権協定の内容と解釈を知る
第4章 徴用工裁判を深く知る
資料
コラム


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