メイ・サートン「74歳の日記」

メイ・サートンは1912年ベルギーに生まれ、4歳の時に父母と共に米国に亡命、成人して英語教師、劇団主宰などを経て、詩人、作家、エッセイストとして活動、多くのファンを得たが、1995年に亡くなった。鹿が庭に出るような自然豊かなメイン州に独居し、体調と相談しながら著述、朗読、講演活動などを精力的に行っている。

73歳の二月末に軽い脳梗塞に倒れ、74歳の前半は、心房細動など心臓に疾患を抱え、薬を飲みながら何もする気が起こらない辛い日々を過ごしていたが、心臓の手術も回避でき、快方に向かってから、以前のような忙しい日々を前向きに明るく迎えている。

「74歳の日記」は、5月3日の誕生日を挟む、1986年4月9日 から 1987年2月21日のほぼ一年間の記録だ。本人も語るように、人のことを、特に悪口などを書く気はないようで、庭の植物、愛犬、愛猫の話が多い。前半は体調に苦しむ話が多く、後半は頑張った朗読ツアーや、たくさんの手紙の対応に苦労する話など、74歳とは思えぬ精力的な日々だ。

私は、メイ・サートンの小説や詩を読んだ記憶がない。どんな人か知らなかったが、共感できる点がいくつもあった。

・ ひとつは共通の病気。 「四か月間、これほどの苦痛があるのになんの診断もつかなかったのだから、もうこのまま死んでしまうのではないかと思っていたのだ。脳梗塞のあとの不満より、はるかにつらかった」と語った病気は、憩室炎。私も経験あるが、これは結構つらい痛みが続くものだ。

・ 「このところずっと、涙を流すより怒りの感情のほうが強くなっている。 悲しみと怒りは鬱の両面。でも、怒りのほうがどちらかといえば健全かもしれない」という。 その悲しみと怒りの理由のひとつが、愛猫ピエロのわがままらしい。

・ 小さな希望は大事だという。 一つの例としてオランダ人の友人の例を語る。「戦争中、インドネシアのジャワ島で日本軍の捕虜となり、一万人の女性といっしょに収容所に入れられた。四年後に解放されたのだが、もし最初から四年間拘束されることがわかっていたら、とても生き延びられなかったと話していた。希望が彼女たちの命を繋いだのだ」

・ 知的だが実に手厳しい書評を受けて、「自分が小説に何を望むかについての考えが明確になった。それは奥深さ、複雑さ、そして生のリアリティだ。リアリティとはあくまで小説のなかで生きられる現実、という意味。現実にあるとおりのリアリティではなく、著者の目から見た生、芸術に昇華された生ということ」

・サートンではないけれど、「キーツはジェーンオースティンが嫌い。「だって結婚相手を見つけたがっている女の人の話ばかりだから」。私もおんなじ印象を持っていた

作家の日常に、こんなに読者との手紙のやり取りがあるものだと、初めて知った。 この人の特徴なのだろうか。 「大切な手紙は別にして、残り大多数を占める知らない人からの手紙が私をがんじがらめにし、頭がおかしくなると思うほどにイライラさせる。私の詩はどうなるの? 私の生活は?」

・ レーガンは嫌いらしいが、「この日記には、政治のことはほとんど書いていない (中略) 今ほど、自分が公的領域から切り離されていると感じたことはない」、として、金まみれの現代には違和感をお持ちのようだ。




メイ・サートン「74歳の日記」(みすず書房 2019.10.16)

この記事へのコメント