堀有伸「日本的ナルシシズムの罪」

堀有伸氏は、南相馬市でクリニックを営む精神科医。 従って、精神医療に携わる、その実例をもとに「病」を語る。しかしながら、堀氏の語る「病」は、けっして個人の精神的「病」ではない。日本人および日本社会が抱え続けてきた「病」のことだ。それを堀氏は、「日本的ナルシシズム」と名づけている。

精神科医である筆者を訪れる人のなかに、職場など属する組織との一体感を極度に守ろうとするために体力や気力を消耗させてしまった人びとがいる。彼らがイメージする組織や場との一体感は、ナルシシズムだと筆者は言うのだ。 「ナルシシズムの病は、現実よりも「自分にとって自分がどう感じられるか」、「自分が他人からどう見られるか」というイメージを重要視することに起因します」。自分のイメージ、つまり、「想像上の一体感」にすぎないと。 しかし、ナルシシズムは「自分の理想から離れてしまった自分、という現実の姿を受け入れることが困難になる。すると現実を犠牲にしてでも、自分の理想的イメージを守ることを優先するようになってしま」うという。

本来、ナルシシズムは「人に愛されたい」などの依存欲求が「母親の不在」などで満たされないとき、それを抑え込むことから生まれるという。 だから、「ナルシシズムとは弱さや恐怖より、「自分は強い」と感じるものを好む性向」といえる。自分は強いから、母の愛などいらないのだ。だから、上手く育ったナルシズムは悪くない、歪んでしまうと、「現実を否定し、そこから目を逸らしてでも自分のナルシシズムを護ることを優先」するようになる。

現実から目を逸らし、「想像上の一体感」を満たすために、やたらと他者の世話を焼きたがる「自虐的世話役」とか、非常に他人に気を遣う律儀な「メランコリー親和型」の人は、大変日本人らしい伝統的心性なのだと、筆者の論は展開するのだが、この辺りは、正直言ってよく理解できない。精神科医の用語は独特で、ついてゆけないのだ。

このあたりから、私がこの新書を、(ロクに理解していないのに) たいへん評価する議論にはいってゆく。つまり、ある意味「日本人論」といってもよいような、日本人、および日本社会の心性の秘密である。 

曰く、日本の社会は「「個人」を基盤として成り立ってはいません。個人の確立よりも、想像上の一体感のほうに流されがちです」

また、「日本社会は、情緒的な一体感を保つことで社会の秩序と統制を維持してきました。そこでは情による強固な結びつきが作り出される一方で、第三者の立場として機能し得る、「法」や「論理」という文化の発展が妨げられるという欠点が存在しました」

さらにもっと強い口調で、「日本文化には目の前の具体的状況への強すぎる愛着と、普遍的・理論的なものへの生理的な嫌悪感が共存しています。論理をもとに人間の心を垂直方向に立ち上げる力が弱く、水平方向の情緒的拘束力が強い」

「日本人は「抽象的・理論的なものを避ける」、「具体的で感覚的なものを愛好する」、「普遍的な原理より、具体的な人間集団の圧力が個人に優越する」ということなどで、之は日本の歴史を貫く傾向と言えます」

これらの、「土着的世界観」、「個人に対する集団の優越」、「想像上の一体感の理想化と絶対視」を、「道徳」として明文化され共有されることにしたのが教育勅語だと。 


「想像上の一体感を維持するためにコミュニティが攻撃対象にしやすいのは、やはり縦社会の論理から外れた人や、その中で低位に位置する人たちです」その例として、「若者がブラック企業批判をすると、「甘えている」「文句を言わずに頑張っている人もいる」と逆に批判されることが多い」

山本七平氏が語る軍隊での員数主義は、「閉じた直接的な人間関係で共有される「想像上の一体感」を守ることが最優先とされ、そのためには重要な現実を排除することもいとわない」、不可能命令を員数主義で乗り切る集団があった


などなど、かならずしも納得はしていないけれども、なんとなく本質的なポイントを衝いているような気もする。

ところで、私には、主流の論旨とは離れるように見えるけれど、かなり興味ある話題があった。ひとつは、北山修氏のいう「見るなの禁止」というタブー。「自らの貪欲さのために女性主人公を傷つけた男性主人公が、その女性主人公の姿をまともに「見る」ことができずに逃げ去ることを繰り返している」、イザナミから逃げたイザナギ、つうを見た与ひょうなどがそれだ。






堀有伸「日本的ナルシシズムの罪」(新潮新書2016.6.20)
はじめに
第一章 「頼られたい」という病
第二章 ナルシシズムの病はどこから来るか
第三章 集団とのかかわり方とナルシシズム
第四章 日本人の伝統的心性からの考察
第五章 「うつ」と日本的「うつ」のあいだ
第六章 現代的ナルシシズムのかたち
第七章 原発をめぐる曖昧なナルシシズム
第八章 成熟したナルシシズムに向けて


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