末木文美士「日本思想史」

「日本思想史」の確立はなかなかむずかしそうだ。ともすれば、「日本思想」史に偏し、イデオロギー的な懸念がうまれやすい。それを意識しすぎると普通の歴史書になってしまう。私が知りたいのは、日本「思想史」だが、確かに西洋思想史と比べて系統立ててゆくのが難しいのかもしれない。

末木氏は、日本思想史の確立を早くから力を入れておられるようだ。私の印象としては、たいへん失礼ながら、日本「思想史」にはいま一歩なのではないか。印象としては、思想史というよりも、通常の歴史書で各時代時代の主要な政治の動きの後に思想や文化芸術に触れられている、といった歴史教科書的な印象を感じてしまう。

それは末木氏の、日本思想史の全体の流れを理解する方法論に起因していると思う。「王権と神仏を両極に置き、文化や生活がその両極の緊張関係のもとに営まれるという図式」だそうだ。それが正しいのかもしれないが、それだと両極の王権と神仏の話を先にして、後から思想・文化の話になる、つまり、教科書の付録的書き方と同じになってしまうのではないか。もしそこに王権・政治思想、神仏・宗教思想があれば、その思想を解きほぐさなければならない。日本には思想がなかった、なんてことはないはずだ、土俗であれなんであれ、思想はあった。

方法論については、異論を感じるにしても、内容は、さすが、よくこんな小さな新書にこれほどの内容を詰め込んだものだと驚く。 たいへん内容の濃いものになっている。それは、筆者の文章力だと思う。簡潔で的確な文章だから、それが可能になっている。


だから、細部で、非常に興味ある、初めて知った話題も多い。以下に、そのなかから、いくつか話題を挙げておく。

・ 個別的知識ではなく、日本思想の全体的な流れや動向を把握するのが困難なのは、「日本の思想は外来の思想をもとに、それを変容することで形成されていることによる」

・ 「日本の思想史は、西洋の哲学史のように思想史の中核となるものがなく、異なる流れが同時並行的にばらばらの主張をしているかのように見える」のは、大蔵経、「論語」などの十三経、「古事記」「日本書紀」などの日本の古典を典拠として、いわばサイロ状態になっているためだ。

・ 「明治維新後の近代においては、それまで両極に分かれていた王権と神仏の要素が天皇を中心として一元化される」

・ 「中国文化の圧倒的な影響を受けながらも、その冊封体制に入らない自立性を維持しようとするには、どうすればよいのか。それには、自らが中国と同じような文明国としての体制を整え、同等であることを示す必要がある。皮肉なことに、自立の要求が模倣を促進する」

・ 「天武によって着手され、持統時代に完成された飛鳥浄御原令(689)」、続く大宝律令(701)、「現実にどこまで適用できたかというと、いささか机上の空論に過ぎて、現実離れしたところが少なくなかった」

・ 記紀冒頭の神話は、「最終的な編纂の大きな意図は、諸氏族の祖先神を系統的に秩序づけ、アマテラスの子孫である天皇のもとに従えるというイデオロギー的装置ということにあった」

・ 「749年、東大寺に赴いた聖武は、完成の近づいた大仏の前で「三宝の奴」として仕えることを誓った。「現神」である天皇が仏の奴となるということは、王権が仏法の下位に位置づけられることである」

・ 「中国文明は文字と文書の文化」で、「日本にはとてもそれだけの人材はなく朝鮮半島からの渡来人に依存するところが大きかった」。その一例が、「論語」と「千字文」を伝えた王仁。

・ 慈円の「著書「愚管抄」は、承久の乱前後の危機の中で、王権の在るべき姿を問い直した緊迫感に満ちた歴史書」

・ モンゴル軍の撤退は、「思想的には、神の加護によって日本が危機を逃れたという信念から、神国思想が進展した」

・ 「栄西も法然も、重源のネットワークと関わっている」「それゆえ、従来のように、新仏教と旧仏教が対立していたという理解は必ずしも適切ではなく、仏教界全体を巻き込んだ復興運動が新しい仏教の機運を起こしたと見るべきであろう」

・ 「紫衣事件(1619)によって、幕府の朝廷に対する支配が確立したとされる」が、「同時に朝廷を武力でつぶさなかった」「禁中並公家諸法度」で、天皇のなすべきことは、学問と和歌、伝統の習俗を伝える役割と定めた

・ 「秀吉の「神国」論が継承され、日本は神国であって、神仏に守られているから、新たな「邪教」は不要だという議論が定着していく」

・ 「儒教は葬祭の「礼」を欠くことで、定着という点で仏教に及ばないことになる。近代になって仏教教団が維持されたのに対して、儒教が組織としては残らなかった理由はここにある」

・ 「熱烈な朱子信奉者であった闇斎は、朱子学的な理を日本の神話に読みこもうとする。その点では羅山と近いところもあるが、羅山がそれによって神話を合理化しようとするのに対して、闇斎は朱子学的な君臣の倫理を読み込んだ」

・ 「江戸中期になると、仏教者に代わって儒者が政治に関わるようになった。神仏の世界とのかかわりよりも、世俗社会の秩序をどうするかが大きな問題となり、神仏と将軍の御威光だけでは対応しきれない現実の問題を捉え直す原理が必要とされた」

・ 「官位は朝廷から受けるもので、その点では将軍も諸侯も同等になってしまう。だから、世も末になって将軍の武威が衰えれば、朝廷のほうが本当の主人だと考える人も出るかもしれない。それゆえ、武家独自の官位秩序を作るべきだと指摘する」

・ 「儒者の政治論に対して、まったく別の原理に基づく政治論を展開して異彩を放ったのが、本居宣長」「天照大御神こそ万国の支配者であり、その血統がつながる皇国は「万国の元本太宗」であるから、異国の説を用いるなどもってのほか」

・ 仏教は、「江戸初期には政治的にも社会的影響力の点でも、儒教よりも大きな力を持っていた。中期になると、儒教が伸長し、また神道の影響も大きくなるが、仏教の役割りは依然として続いた。とりわけ朝廷では、大嘗祭が途切れた期間も、密教的な方式に基づく即位灌頂は継続して行われた。また、皇位を継承できない皇子や皇女は出家して門跡寺院に入るのが常であった」、神道と同程度に仏教儀礼があった

・ 「儒教は五倫・五常など世俗的な倫理の原則を体系的に説いてきた」・・・「儒教が体系的に受容されたのは、主として武士階級であり、一般庶民にまで儒教の聖典が教え込まれていたわけではない。むしろ世俗社会のなかでの生き方は仏教を媒介とする場合が多かった」

・ 「実際には貨幣経済が発展することで、商人階級の重要性が増すことになった。そこで商人の倫理の確立が必要になって来た。梅岩の教えはそれに対応するもので、自己の本性を悟ることを根底において、身の程をわきまえ、利己心を捨てて倹約に努め、世のために役立つことを教えた。 そのような態度をとることで、社会のなかで承認の役割りを正当化した」

・ 安藤昌益は、「人間社会の階級的な差別を比定し、あらゆる人が等しく「直耕」に従事する社会を理想化するのである。こうして昌益の農本主義は日本ではまれな社会主義的な人間平等論へと向かう」

・ 尊皇主義が広く見られても直ちに討幕には結びつかず、「むしろ皇国を護るのは幕府の役割りだとする思想のほうが、幕末に至るまで主流であった」

・ 「霊魂論は、やがて神道式の葬儀である神葬祭の運動へと発展する。 ちなみに、儒教系でも会沢安が提起したように、死者の霊をどう祀るかが大きな問題となっていた」・・・「楠木正成の霊を祀る神社の創設を求める運動は幕末から起こり、やがて明治になって湊川神社が創建された。それが維新の功臣を祀る神社や靖国神社の創建につながっていく」

・ 「維新政府の中核に入る大きな流れは津和野藩の国学・神道」で、指導したのは大国隆正。「それまでの平田派の幽冥重視に対して、顕明の世界に重点を置き、西洋とも比較しながら日本こそ最も優れた国であると説いた。その根拠を宝祚無窮(いわゆる天壌無窮)の神勅から天皇へのつながりに求めるなど、明治期の神道につながる基本的な思想が形成された」

・ 「尊攘派と言っても薩長の軍事勢力、儒教主義者、復古神道家など、思惑を異にする。すでに攘夷が不可能であることは明白であったが、尊攘派は日本至上主義、自尊主義として大きな力を持ち続ける」

・ 「神仏分離令は特定の一つの法令ではなく、数度の通達や布告を総称するが、基本的には神社から仏教的要素を排除することを意図している」

・ 「近代日本の精神構造は、表側では、世界へ向けた近代的立憲国家として現れるが、それを支える下部構造は教育勅語の道徳である」

・ 「大正期の思想というと、デモクラシーを支える個人の確立としての人格主義・教養主義ということがしばしば言われてきた」・・・「白樺派や阿部次郎の「三太郎の日記」などが代表的なものとされる。それまでの宗教的な人間観から離れ、また家父長制的な家から自立し、内面の良心に従った個の確立が目指された。そこには、ケーベルや夏目漱石などの影響が大きいと考えられる」

・ 「葦津珍彦の指導で皇典講究所・大日本神祇会・神宮奉斎会の三組織が合同して宗教法人として神社本庁が結成され」た。 「神社本庁はその検証に、「祭祀の振興と道義の昂揚」を揚げ、「敬神尊皇の教学」を興すことを目指すなど、戦前の国家神道の方針を踏襲している」

・ 原爆死没者の慰霊碑は正式には広島平和都市記念碑で「慰霊」の言葉がない。憲法20条を厳密に守ったからと説明されている





末木文美士(Fumihiko Sueki)「日本思想史」(岩波新書 2020.1.21)
はじめに
第一章 日本思想史をどう捉えるか
Ⅰ 思想の形成[古代] ~ 9世紀
第二章 日本思想の形成 飛鳥・奈良・平安初期
Ⅱ 定着する思想[中世] 10 ~ 15世紀
第三章 儀礼化する王権と神仏 摂関・院政期
第四章 王権と神仏の新秩序 鎌倉期
第五章 中世文化の成熟 南北朝・室町期
Ⅲ 思想の多様化と変容[近世] 16 ~ 19世紀
第六章 大変動と再編 戦国・安土桃山期
第七章 安定社会の構築 江戸初期
第八章 思想の一斉開花 江戸中期
第九章 ナショナリズムへの道 江戸後期
Ⅳ 世界の中の日本[近代] 19 ~ 20世紀
第十章 日本的近代の形成 明治期
第十一章 戦争と思想 大正・昭和期
第十二章 平和の思想と幻想 昭和後期
むすび 幻想の終焉








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