夏目漱石「明暗」

何十年ぶりの再読だろうか。多分三回目で、最初は中学生のときだと思う。妙に気に入って、漱石の中では一番好きな小説だったことだけ記憶している。しかし、中学生にこの小説がわかるだろうか。分かるわけはないという意見もあるだろうが、意外に中学生くらいになれば、なんとなくわかっているものなのだ。

さて、こんなに理屈っぽい、心理劇のような小説だったか。といっても、すへて作者漱石の目を通した心理なのだが。主人公、エゴイストで傲慢なのだが表面は紳士的な理性の人津田は、「他(ひと)に対して、面目を失うこと、万一そんな不始末をしでかしたらたいへんだ。これが彼の倫理観の根底に横たわっている」ような男だ。

その津田に嫁ぎ、愛する以上は愛されなくてはいけないと、怜悧な頭脳で、しっくりいかない夫婦関係の原因を探る延子。そこに、社会の底辺にいて斜に構えているなぜか友人の小林は、社会派の存在感がありそうでただの無頼漢かもしれず、なにかと津田にちょっかいを出しては金をせびる。器量好みで貰われた津田の妹の秀子は、津田夫婦を生理的に気に入らない。京都の実家に津田がもっとき配慮しなければいけないのに、義姉の延子のせいかもしれないと怪しむ。そして極めつけは、津田夫妻の頼まれ仲人の吉川夫人、誰も止めない自由さで人の都合も考えずに傍若無人に「指導」したがる・・・・・

エゴイスト、自分勝手な人々ばかりの登場人物が、それぞれ、お互いに、お互いの心理をのぞき込んで、勝手に斟酌して、争いの種を膨らませてゆく・・・・そして延子にとって最大の問題は、小林や秀子などがほのめかすように、津田には女がいるのではないかという疑いだ。

そして、津田夫婦を取り巻く外野の、とくにどう考えてもおせっかいな吉川夫人の教育によって、津田は密かに、昔津田を振って突然去り別の男と結婚してしまった清子が逗留する温泉場に出かけてゆくのだ・・・・。


「明暗」は未完の大作、遺作ということもあり、漱石が晩年に語っていた「則天去私」という思想との関連が語られる。 解説者によって、「「私」のない芸術、箇を空うすることによって全に達すると云ふ人生観、禅で所謂禅定、三昧の境地」、と説明されるような、いたく宗教的な思想だが、私には、あまり、宗教性は感じられない。むしろ、漱石の言葉として伝えられる、「普通えらさうに見える一つの主張とか理想とか主義とかいふものも結局ちっぽけなもので、さうかといった普通つまらないと見られてるものでも、それはそれとしての存在が与へられる。つまり観る方からいへば、すべてが一視同仁だ」、という説明のほうが「明暗」にふさわしい。 全員欠陥だらけの人間だが、誰一人として特別な人間はいない、みな、差別することのない、個々の人だ。


難しいことはぬきにしても、つまり、新聞小説の俗っぽい興味でも、たいへんおもしろい、傑作だと思う。 


夏目漱石「明暗」(角川書店1974.09.15 )

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