今村夏子「むらさきのスカートの女」

読み進めてゆくうちに、きっと大きな事件や、話の転換が起こって、「むらさきのスカートの女」と「黄色いカーディガンの女」に大きな変化が起きるにちがいない、との期待が高まるが、とくに、どうってことのない、それほどのことでもないが、ひどく微妙な展開になって・・・いったいぜんたい、この小説はなんなんだろう、と、不思議な思いで終了する。

いつも公園の指定席のベンチで、クリームパンを食べている、よごれた髪、汚い爪のいかにも貧しそうな姿の「むらさきのスカートの女」は、公園で子どもたちのからかいの的になっている。「私」はなんとか彼女の求職が成功するように、それとなくマークした情報誌を置いたり、試供品の薫り高いシャンプーをドアノブにぶら下げたりしていた。その努力が報われたか、彼女はなんとか仕事に就いた・・・・。


どんな理屈をつけようが(きっと作者は理屈をつける気はないだろうが)、この小説は私にはつまらない。貧困、おばさんたちの日常、ホテル清掃の仕事、代替わり、陥穽・・・いろんな要素はあっても、とくにどうってことのないお話としか思えないんだが・・・
 

今村夏子「むらさきのスカートの女」(朝日新聞出版 2019.6.30)

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