小川俊樹「五・一五事件」

まず、これは絶対にお薦め本だ。

二・二六事件に比べて五・一五事件はあまりよく知らないし、本も少ないように思う。犬養首相暗殺くらいしか知らない。しかし、この本を読むと、二・二六事件よりもずっと時代を転換させた事件だったとわかる。 事件により、せっかく軌道に乗りつつあった「憲政の常道」、政党政治が断たれた。昭和維新の運動を民間ではなく陸軍が主導し始める、事件を起こした青年たちの「純真」な動機への同情から昭和維新を受け入れ始める ・・・・

筆者は、あとがきで、簡単に要約している。

・ 「事件の発生は、大正期以来続く国家改造運動の延長線上にある。巷間で事件の原因と言われている、犬養首相個人の言動(満州国不承認、陸軍・森格との対立や軍部批判演説など)は直接の要因ではない」

・ 「政党政治の中断には、元老西園寺に影響力を行使した昭和天皇の意向が大きい」

・ 「減刑嘆願運動の高揚には、政治介入を強める陸軍の思惑や、格差に憤る国民の反「特権階級」感情があった。 その一方で海軍将校の減刑には、海軍部内の権力関係が強く影響していた」


五・一五事件につながる、政界、軍、民間思潮の動きを、アトランダムに挙げてゆくと、

・ 権藤成卿の「自治民範」の「古来日本に由来する「社稷」の観念」によれば、「一君万民の平等な共同社会」の「君と民の間に跋扈して、私利私欲を貪る議員や官僚、政党や財閥などの「支配階層」は、都市型資本主義を推し進めて国体を破壊する存在」であり、排除すべき対象だ

・ ロンドン軍縮会議にともない、森恪は、浜口内閣が「軍令部の意向を事実上まったく無視」したと公言し、四月三日、軍や森恪に近い「大阪毎日新聞」が早くも「統帥権干犯」の語を取り上げ、翌日には頭山満を代表とする「軍縮国民同志会」が反対決議、政府の行為を「大権干犯」だと批難した。

・ 民衆の間では、「外地で戦死者が出ると、送還された遺骨をめぐって争奪戦が始まる。名誉ではなく、金が欲しいのだ」そこまでに、「「昭和の御代」のことと思えないような都市や農村での惨状」があった。

・ 「ロンドン海軍軍縮条約の強行で湧きあがった海軍の反発。それが特権階級への憎しみと融合し、富裕層のみを守護して弱者を顧みない、政治の革新を強く要求する。こうして「昭和維新」の開幕を告げる最初の一弾が、東京駅で放たれることになった」。それが佐郷屋留雄の浜口首相狙撃事件で、「直接行動による政治改革運動(いわゆる「昭和維新」)のはじまりを告げるものであった」

・ クーデター計画が続出する。 陸軍内部でのクーデター計画、三月事件は、建川美次少将、小磯国昭少将、橋本欽五郎中佐ら桜会急進派が計画したもので、柳条湖事件後、若槻内閣が不拡大方針を決定すると、橋本欽五郎中佐は再度、クーデターを計画、それが十月事件。全閣僚殺害や革命政権樹立など。日召も一時要人暗殺を依頼されたこともあったが、橋本らの動きに不信があり、「これでは天下乗っ取りで、維新ではなくなる」と、陸軍左官級と手を切って純潔同志化を図ってゆく

・ 海軍にあって、もっとも運動を進めていた藤井斉は、1932年2月5日、第一次上海事変で日本海軍の航空戦における最初の戦死者となった。死せる藤井を五・一五事件の首魁に祭り上げられる。藤井が生きていたら、事件の様相もかなり異なっただろう

・ 天皇の「希望」で首相が変わるのは異例の事態である。「天皇にとって、軍部の暴走への危機感と、政党政治への不信感は、それだけ強かったのだろう」

・ 結局、人格者で条約賛成派の斎藤実首相の内閣となり、条約賛成派の岡田啓介海相、陸相は荒木が続投して陸軍部内の昭和維新運動を慰撫すると期待された。「斎藤内閣は非政党内閣であっても、現状維持を使命とする意味で、昭和維新運動と対峙する厚い壁であった。陸海軍は、ともに不満であった」

・ 「公判の進行にともなって報道はエスカレートし、被告は「英雄」となり、事件は「義挙」となって、人々は被告の供述に「涙」した。古賀清志中尉や三上卓中尉の言動に、国中が注目したのである」。しかし、メディアでも地方の信濃毎日と福岡日日は徹底した事件批判、軍部批判を行った。信濃の桐生悠々は在郷軍人会の不買運動に抗しきれず辞めさせられたが、福岡の首脳部は菊竹六鼓を守り切った

・ 裁判は、民間と軍に分かれ、民間の判決は厳しかったが、「海軍側の判決は三上ら被告の命を救った。それは、海軍部内でロンドン海軍軍縮条約の意義が否定に等しい扱いをされたことでもあり、条約賛成派の粛清が進行することをも意味していた」

・ 33年7月10日起こった神兵隊事件は、「人的なつながりとしても、決起の趣意からしても、神兵隊事件は「第二の五・一五事件」であった」。「破壊」を担当した前田虎雄、「建設」を受け持った天野辰夫ほか、片岡駿、影山正治らが参加し、・全閣僚や財閥要人の殺害を計画していた。「民間における急進派右翼運動それ自体は、事件をきっかけに主導者を失い、当局の取締厳格化などを受けて沈滞化してい」き、「国家主義運動の主導権が、革命を志向する民間右翼から、政治権力の掌握をめざす軍部に移行していくことを物語る」

・ 事件の中心メンバー、三上卓、四元義隆は戦後も運動を続けた。とくに四元は歴代首相の相談役にもなるほど政権の中枢に影響力を行使していた。いまはそんな人もいないのだろう、首相の周囲は金のことばかりか、復古的な妄想家しかみえない。






小川俊樹「五・一五事件」(中公新書2020.4.25)
海軍青年将校たちの「昭和維新」
まえがき
第1章 日曜日の襲撃
第2章 海軍将校たちの昭和維新
第3章 破壊と捨て石
第4章 議会勢力の落日
第5章 法廷闘争
第6章 さらに闘う者たち
あとがき





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