テッド・チャン「息吹」

映画「メッセージ」の原作、「あなたの人生の物語」の作者、テッド・チャンの待望の二冊目らしい。ひどく寡作な人らしい。 映画「メッセージ」はたいへん感動的な素晴らしい映画だった。原作と100%同じではないが、この映画のように、一つの解釈を経た作品を味わうのが、テッド・チャンの小説のよい読み方かもしれない。というのも、それぞれたいへん興味深いながらも、どの短編も、科学技術的にも、哲学的にも、容易に理解できるものではないからだ。

どの短編・中編も興味深いし、SFであってかつ一文学作品のような味わいのあるものばかりだ。科学的なタイムマシン、宇宙論、AI、パラレルワールド・・・等のSFらしいテーマであっても、この作家に掛かると抒情詩のようになってしまう。

一番好きだったのは、「偽りのない事実、偽りのない気持」。 記憶は自分の都合に合わせて無意識に書き換えられていた・・・といったような話。


テッド・チャン「息吹」(早川書房 2019.12.10)
“EXHALATION” by Ted Chiang
商人と錬金術師の門 “The Merchant and the Alchemist’s Gate”
息吹 “Exhalation”
予期される未来 “What’s Expected of Us”
ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル “The Lifecycle of Software Objects”
デイシー式全自動ナニー “Dacey’s Patent Automatic Nanny”
偽りのない事実、偽りのない気持 “The Truth of Fact, the Truth of Feeling”
大いなる沈黙 “The Great Silence”
オムファロス “Omphalos”
不安は自由のめまい “Anxiety Is the Dizziness of Freedom”
作品ノート
訳者あとがき




<商人と錬金術師の門
バグダットの錬金術師の店に「歳月の門」があった。その門を通ることで未来或いは過去に行くことができる。しかし、過去に行っても「すでに起きてしまったことをなかったことにはできません」・・・・「「この世にはもとにもどせないものが四つある。口から出た言葉、放たれた矢、過ぎた人生、失った機会だ」と古人はいいました」・・・「なにをもってしても過去を消すことはかないません。そこには悔悛があり、償いがあり、赦しがあります。ただそれだけです。けれども、それだけでじゅうぶんなのです」・・・・

<息吹
空気の詰まった肺を取り替えながら生きる世界は、大気圧の差が原動力になっているらしい。しかし、世界的に脳機能の低下がおこっているらしい・・・「この宇宙は、こらえていた巨大な息としてはじまった。その理由は知る由もない。しかし、どんな理由だったにしろ、宇宙が開闢したことに、私は感謝している。わたしがこうして存在するのは、その事実のおかげだからだ」・・・「存在するという奇跡についてじっくり考え、自分にそれができることを喜びたまえ」・・・・

<予期される未来
予言機が明らかにしたことは、自由意志なんかない、ということだった・・・・「自由意志が幻想でしかないと説く議論は、物理学を論拠にするものから、純粋な論理だけに基づくものまで、むかしからあった。(中略) 自由意志をもっているという経験はあまりに強固なので、議論ひとつで覆されることはない。それを覆すために必要なのは実体験であり、予言機がそれを提供する」・・・「私があなたたちに伝えたいのはこういうことだ。自由意志を持っているふりをしろ」・・・・

<ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル
ティジエントと呼ぶAIソフトウエア・オブジェクトは動物のペットや子どもを育てるように、幼いうちから育ててゆくバーチャル空間のゲームの一種だった。動物園の飼育係出身のアナは、サルを育てるように自分のディジエント、ジャックスを育て、同僚のデレクは、子どもの潜在的な可能性を期待して育てていた。しかし、成長につれ言うことを聴かなくなり、客は減って行く。会社は廃業し、プラットフォームも弱くなってきた・・・「現実世界で楽々と動きまわれること、新たな問題を解決するときの創造性、重要な決断を委ねられる判断力。人間をデータベース以上に価値あるものとしている性質は、ひとつ残らず、経験の産物なのだ」・・・・

<デイシー式全自動ナニー
デイシーは、息子がナニーの前と自分の前とで態度を変えていることに気づかず、ナニーをいくら変えても満足できなかった。デイシーは、そこで、全自動ナニーを開発し、自分の息子で試すことにした・・・・

<偽りのない事実、偽りのない気持
リメンというソフトウェアは会話の中の過去の映像をライフログから選んで、網膜プロジェクターに映し出す。人の記憶は曖昧だったり、ときには都合よく捏造してしまうが、すぐに事実がわかってしまう。それは、口承で歴史を語ってきた民族に書き物の記録を導入するようなものだ。しかし、それが正しいとは限らない。「口承文化にとって、歴史は、それほど正確である必要がない」・・・・「人間は物語でできている。わたしたちの記憶は、生きてきた一秒一秒の公平中立な蓄積ではない。さまざまな瞬間を選びとり、それらの部品から組み立てた物語ナラティヴだ。だから、同じ出来事を経験しても、他人とまったく同じようにその経験を物語ることはない。さまざまな瞬間を選びとる基準は人それぞれで、各人の個性を反映している」・・・・

<大いなる沈黙
プエルトリコのオウムは、非人類のなかでもっとも、あるいは唯一、人間の言語を理解し、コミュニケーションも可能だ。しかし人間側はそれを知らない・・・・。

<オムファロス
考古学者の私は、成長輪のない古代の樹木やアワビ、へそのないミイラを発見できれば、それが神の仕業、神が最初に直接したものを直接生み出した証拠として、貴重な喜びとなる。しかしとある教会のバザールでそんな貴重なアワビが安く売られているのを見つけ、博物館から盗まれたものに違いないと調査した。そこには驚くべき天文学上の発見があった・・・・

<不安は自由のめまい
人生の選択によって分岐した、もうひとりの自分のその後を知ることも、コミュニケーションすることもできる、プリズムという名の機器が発売され、コミュニティが生まれた。「併行世界とのコミュニケーションが実現し、「もしあのときこうしていたらという問いに対する答えが得られるようになる」。もう一人の自分が、自分よりいい暮らしをしているからといって不満だったり、こちら側の自分がしでかした悪事を、向こう側の自分がしていないから、自分はまだまともなんだと妙な論理を働かせる人もいた・・・・。

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