リチャード・パワーズ「オーバーストーリー」

これは素晴らしい本だ。わたしにとって今年最高の小説と言っていい。600ページを超える大作だから一気に読むことはできなかったが、大河小説のように、群像劇のように、壮大なスケールで、時代を俯瞰してゆく。まるで巨木の先端から世界を見るように。 展開してゆく。

訳者あとがきに訳者が要約したものが挙げられている。

「「オーバーストーリー」は互いに組み合わさりながら同心円状に展開する寓話。時代は南北戦争前のニューヨークから二十世紀米国北西部太平洋岸での森林戦争にわたる。ベトナム戦争で空から落下し、ベンガルボダイジュに救われた空軍の兵士、四世代にわたって撮り続けられた栗の木の写真を相続する芸術家、1980年代の終わり頃、遊び耽ったあげくに感電死し、光の精霊によってよみがえった女子大生、聴覚の障碍を持ちながら、植物に対する愛を父から受け継ぎ、やがて樹木同士がコミュニケーションしていることを発見する科学者、これらを含む計九人の、互いに見知らぬ人たちが木によって召喚され、アメリカ大陸最後の処女林を救う戦いに集結する。我々の世界の隣には、スローで広大、そして創意に溢れた不可視の世界がある。これはそうした世界を見る方法を知った人々、破局に向かうその世界に呼び寄せられた人々の物語である」

たとえば、ニコラスの栗の木。 1860年代前半、ノルウェー系のホーエルが結婚して、ブルックリンからできたばかりのアイオワ州の入植地に入り、服のポケットにはいっていた6個の栗を、初めての子が生まれる春に、ホーエルは植えた。南北戦争の始まる前の話だ。それから、息子、孫、曾孫とホーエル家はなんとか農地を増やし、戦争にも耐えて生きてきた。6個の栗1本だけ生き続け、ランドマークとなるような大木となった」。ホーエル家の栗の木も、いまはもうない。  

このような物語が、ミミ・マーのロートスの木、扶桑の木、松の木、そして、レイとドロシーのオークの木、また、ニーレイのオークの木やセンペルヴァイレンズ、レッドウッドの木、ダグラスのベンガルボダイジュの木とダグラスモミの木、それから、パトリシアのブナの木やカエデの木・・・など、それだけでも十分一冊の本になるような物語が繰り広げられる。

そして、それぞれに、木を護る闘いに歩み出す。当時、エコテロリズムと呼ばれていた闘いは、いまとなっては、テロというほどのことではないとわかる。 なぜ、木を護るのか。「裏庭にある木とあなたは共通の祖先をもっている。十五億年前、あなたは方は袂を分かった。しかし、別々の方向へはるばる旅してきた今でも、木とあなたは遺伝子の四分の一を共有している」。 木も、もちろん、人間と同様の生命である。 たとえば、「負傷した木は警告を発し、他の木がその匂いを嗅ぎ取っている。カエデは合図を送っている。木は空気を媒介としたネットワークで結ばれ、何エーカーにもわたる森全体が免疫システムを共有している。脳を持たず、動くこともない木々は互いを守り合っている」、そんな生命なのだ。「四十億年の生命の歴史が生んだ最高のものを救うためなら、誰が行動をためらうだろう」

だから、「まるで当然の権利みたいに木を切るんじゃなくて、贈り物を受け取るみたいな態度でそうしてほしいってこと。必要以上に奪い取るなんて、それは贈りものとは言えない。この木はどうかって? この木はあまりにも大きな贈り物。地上に遣わされたイエス様みたいなものだから」、若し切らざるを得ないなら、それなりの理由も態度も必要だ。「木を切るときには、少なくともその木よりも驚異的なものを作るのでなければならない」


なお、原書諸藩のコピーライトの頁には、100パーセント再生紙で印刷されていて、408本の木の節約がなされたなど、と記されていたという。 その根拠は、このサイトだそうだ。

https://www.rollandinc.com/resources/eco-calculator/



リチャード・パワーズ「オーバーストーリー」(新潮社2019.10.30)

 ニコラス・ホーエル
 ミミ・マー
 アダム・アピチ
 レイ・ブリンクマンとドロシー・カザリー
 ダグラス・パヴリチェク
 ニーレイ・メータ
 パトリシア・ウェスターフォード
 オリヴィア・ヴァンダーグリフ

樹冠
種子





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