早瀬晋三「マンダラ国家から国民国家へ」

私は東アジアの近現代史に大変興味がある。ひとつのことに集中できる性格だったらその関係の本ばかり読んでいるとおもう。東アジアは少しは分かって来たが、東南アジアの歴史はまったく知らないし、たいへんとっつきにくい。人の名前も、とたんに長いカタカナになって覚えにくくなるのが、その理由の一つだが・・・・

とりあへず、最初の一歩と思って、簡単な冊子を手にしてみた。第一次大戦当時の東南アジアはどんなだったか。実は学問の世界でもこのあたりの研究は少ないそうだ。

アバウトに言って、この地域は1820年代以降、英仏蘭の植民地となり、第一次大戦はそれほど影響を受けなかったが、参戦したりして、民族自決権に期待したが、あまり独立への変化をもたらせないまま、日本軍の浸透によって大きな影響を受けた。日本軍は解放軍ではなく、より過酷な侵略者だったが、日本の敗北で一気に独立の機運が高まり、それぞれ経緯はあるものの独立を果たしてゆく。

経済的には、中国人の影響が大きく、中国、ベトナム、インドの間に、マラヤや、唯一独立を保ち続けたシャムが、米、砂糖、錫などの流通を主体としていた



< シャム >

シャム、ラタナコーシン朝は、1820年代、50年代に、王室の独占貿易が崩れ、治外法権、全港の居住権・交易権を英に許していた。「世界貿易システムのなかに投げ出されたシャムは、伝統的国家体制を全面的に変革し、近代国民国家建設へと向かわざるをえなくなった」ため、「王様と私」のモデルとなったラーマ四世、その子のラーマ五世は、近代化への改革を進めた君主として敬愛された。
シャムは独立を保ったが、周辺の属国を割譲した。1914.7.28の第一次大戦勃発に伴い、8.6に、いち早く中立を宣言したが、ドイツにもイギリスにも、「どっちが勝っても戦勝国になる」よう動き、最終的に、1917.7.22 ドイツ、オーストリア=ハンガリーに宣戦布告し、その結果、1920 国際連盟の原加盟国になった。しかし、米国とは早期に新条約を締結できたが、英仏とは、1927の関税自主権、37の領事裁判権撤廃と時間がかかった。



< フランス領インドシナ >
1802年 フエを都としてグエン朝が起こり、国号を越南、ベトナムになって集権的官僚制国家の形成が徐々に進むが、性格の異なる地域・民族の存在で統制がとれず、フランスの侵入を許してしまう。60年代にメコンデルタ三省の割譲、80年代に ベトナムの保護国化が進む。朝貢していた清もの反発で1884-85に 清仏戦争が起こるが、清の敗北でベトナム植民地化が容認される。 仏は、コーチシナ、トンキン、アンナンと、カンボジアを一括して仏領インドシナ連邦を結成した。
第一次大戦に、 フエのベトナム王室は勅令を出し、ボーナス支給で植民地軍への入隊を促進する。4万人以上がフランス軍に参加、フランスのそれ程でもない実力を認識する。1919 パリ講和会議事務局に、安南愛国者協会事務局長グエン・アイ・クオック(後のホー・チ・ミン)が、出版結社の自由、ベトナム人の政治参加の要求など八項目の「安南人民の要求」という請願書を提出した。


< イギリス領ビルマ >
1860年代に、コンバウン朝は二度にわたるイギリスとの戦争で領地を失い、イギリス領ビルマとされる。 その間、綿花貿易の王室独占も失う。80年代に、再度のイギリスとの戦争で、王朝は滅亡し、イギリス領インド帝国ビルマ州となる


< イギリス領マラヤ >
1824 英蘭ロンドン条約にて、マラッカ海峡の東側が英、西側が蘭と定めた。現在のマレーシアとインドネシアの境界に当たる。70年代以降、王国の有力者、中国人秘密結社指導者、スルタンの地位を確認しつつ、イギリス人理事官が徴税権、警察・軍事権、裁判権を掌握した。経済的には錫の生産が飛躍的に増大するが、中国人労働者の急増するだけで、「マレー人」意識は、1905に開校したマレー・カレッジに集まった出身地もムラユ語方言も違う王族・貴族の子弟によってはじめて意識されたが、なかなか広まらなかった。
「日本軍はイギリスの民族分断政策を引き継いで、反イギリス活動をしていたムラユ人やインド人を優遇した。37年に結成されたマレー青年同盟のリーダーを義勇軍の幹部に取り立て、インド人にはインド国民軍の創設を援助し、さらに43年10月に自由インド仮政府を樹立させた。初めそれに応える者もいたが、やがてイギリス時代より過酷な政治的抑圧と経済的搾取から、マラヤの人びとは日本軍を解放軍ではなく侵略者とみなすようになった。そして、自分たちの家族と社会、生活を守るために、民族を超えてマラヤという祖国を防衛するための抗日に立ち上がるものが現れ始めた」
1957.8.31 ムラユ人の優位を認めたマラヤ連邦が独立した。


< オランダ領東インド>
外来東洋人・オランダ人を最上層、中国人を中心、原住民を最下層とする構成で、ジャワの、サトウキビ、コーヒー、藍などの輸出用換金作物の国営プランテーションをはじめ、私企業のプランテーション経営などで、「階層分化を一層進行させ、村落共同体の秩序を流動化させた」
1880年代、 「ジャワ人首長の子弟のために開設された首長学校では、93年以降官吏養成をより明確にした実践教育を行うようになり、出自よりも個人の能力や学歴を重視するようになった」
1920年代、イスラーム同盟が弾圧で弱体化し、共産勢力が大衆運動の主導権を握ったが、徹底的に弾圧され共産党は死滅した。1942.3 日本軍が占領、スマトラはマラヤと同じ軍政下、ボルネオ・セレベス以東は海軍、ジャワは単体の軍政下でスカルノの対日協力で独立を求めた。日本の敗北で、8.17 インドネシア共和国独立を宣言する。バンチャシラ(憲法前文の五原則)が有名


< アメリカ領フィリピン >
1571 スペインが「マニラに植民地基地をおいて以来、スペインはカトリック化と一体になった植民地化をおしすすめた」。1890年代の対スペイン独立運動は、支援を申し出たアメリカに裏切られて挫折したが、1898 のパリ条約で、スペインからアメリカに譲渡された。この密約は、フィリピン人を怒らせ、フィリピン・アメリカ戦争となる。各地で起こるフィリピン人虐殺事件、革命軍の活動を違法化、 フィリピンの紋章を掲げることを禁じた国旗法成立など,植民地支配は厳しかったが、1907 以降、フィリピン議会の開設、自治権の拡大、将来の独立を約束する自治法など進むが、独立には至らない。それは「アメリカ植民地支配下で安定した地位と利益を期待する、シュガーバロン(砂糖貴族)とよばれたサトウキビ農園地主など、フィリピン人エリート層の思惑」もあった。
1934.3.24 フィリピン独立法、米議会で成立、46.7.4に米国は主権放棄するという内容だったが、アメリカへの従属はそのまま





早瀬晋三「マンダラ国家から国民国家へ」(人文書院2012.6.10)
はじめに
第1章 マンダラ個塚の近代植民地化
1. シャム
2. フランス領インドシナ
3. イギリス領ビルマ
4. イギリス領マラヤ
5. オランダ領東インド
6. アメリカ領フィリピン
7. まとめ
第2章 東南アジアと第一次世界大戦
1. シャム
2. フランス領インドシナ
3. イギリス領ビルマ
4. イギリス領マラヤ
5. オランダ領東インド
6. アメリカ領フィリピン
7. まとめ
第3章 戦後の民族運動と国民国家の形成
1. シャム
2. フランス領インドシナ
3. イギリス領ビルマ
4. イギリス領マラヤ
5. オランダ領東インド
6. アメリカ領フィリピン
7. まとめ
第4章 歴史教科書のなかの第一次世界大戦
1. ヨーロツパ
2. 日本
3. 中国
4. 韓国
5. ベトナム
6. タイ
7. そのほか
8. まとめ
おわりに




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