加藤陽子「天皇と軍隊の近代史」

「総論 天皇と軍隊から考える近代史」を読めば、筆者のイシューのおおよそはわかる。 第1章からの本文は、その論題を詳細に展開したもので、ある意味、かなり専門的、学術的であるから、理解しにくいところも多い。いずれにしても、汲めども尽きぬ興味の湧いてくる領域であることはまちがいない。

筆者の主要な関心は、「政治主体としての軍、特に陸軍」、「政策決定方式の本質的変容における軍の影響力」、「終戦に向けた天皇の動き」、「天皇と軍・軍隊の関係性」・・・・だそうだ。 天皇、軍、政策決定関与に絞って、トピックを挙げてみると・・・


・ 1878.12.5日 桂太郎がドイツ風に軍政と軍令を分離し、参謀本部を独立させる。西南戦争・竹橋事件の教訓から、民権運動の軍隊への波及を恐れ、軍人・軍隊を政治から遠ざけたのが、統帥権独立の当初の意味だった

・ 「山縣が採った道は、公民からなる徴兵制軍隊を天皇に直隷させ、政治と軍事、ふたつの領域をカバーしたカリスマ的な指導者てあった西郷に対抗しうる明治天皇像を確立することだった」、というが、そんな理由だったのだろうか

・ 「対外的には満州事変と上海事変が、国内においては三月事件、十月事件、血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件など、武力をともなったテロやクーデターの続発」があり、有馬頼寧は三月事件の特徴として、「⑴共産主義者の侵入の多さ、⑵最終的には皇室を推載する運動、⑶天皇を戴く国家社会主義によって既成政党を打破し、独裁政治を行おうとする大川一派の主張に軍が共鳴」、と分析した。

・ 「西園寺は、満州事変、上海事変に対する対処法を探るための御前会議を開催したいとの天皇の希望に対して、御前会議決定に従わない軍人が出たら、天皇の権威が決定的に失われると危惧して反対した」、それほど天皇の権威は弱かったということか。彼が危惧していた光景は、「クーデターの混乱下の憲法停止、東久邇宮あるいは伏見宮なり皇族を推載した暫定内閣の誕生、昭和天皇の一歳下の弟秩父宮の内大臣就任、天皇親政という名の下での昭和天皇無力化という一連の悪夢」。軍の一部と皇族が結託しているとみたわけだ。

・ 熱河作戦の「問題は、東京における事変後の対応というよりは、事変の計画と、事変成功の鍵を握る増派とが、軍エリートによって準備・断行されたその点にあった。満州事変は、天皇に直隷するはずの軍隊への天皇の指揮権=統帥権の実質が、軍エリートの計画的な意思によってはじめて解体されたという意味で象徴的な意味を持っていた」

・ 大本営は「軍事機構が政治機構と並列・対等であるという二元主義のもたらす弊害を自覚していた明治、大正の国家が、戦時大本営、防務会議、臨時外交調査会などを設置して」きたもので、それなりに苦慮?した結果らしい。



そのほかのエピソード

・ 1872.5.6 政府は急遽中止を命ずるが、西郷従道は鹿児島召募の志願兵の要求におされて出兵、西郷と江藤の結託を恐れる

・「アジア太平洋戦争の戦死者230万人のうち60パーセントの140万人が、じつは戦病死者(ほとんどが餓死者)だった。これに引き換え、われわれのなかに映像として刷り込まれてしまっている特攻死は、じつは4000人だった」・・・「だから「英霊たちの最期」みたいな二時間物のドキュメンタリー映画をもし愚直に撮るとすれば、73分までは餓死のシーンで、特攻隊のシーンは12.5秒」、これは拡散したいものだ

・ 「朝鮮の改革は朝鮮にまかせよ、日中は撤兵すべきだとした清国の理性ある回答を拒絶し、撤兵に応ぜず単独で朝鮮の内政改革に着手し、ロシアやイギリスの調停も断り、戦争に突き進んだ」にもかかわらず、「朝鮮の進歩を邪魔する清国を倒し、朝鮮を独立に導いた、との神話が日本国内で広く信じられてゆきました」

・ 「日露交渉で、日露が最後まで譲れなかった問題が、朝鮮半島における中立地帯の設定であった」ことから、日露戦争は回避は困難だったという見方もあり、また、「ロシア皇帝ニコライが、日本の韓国占領を容認することを認めたロシア側の最終回答があった」という話もある。さらに、強硬派ベゾブラーゾフの意見書に「ロシアは満州を併合せず、日本も朝鮮を独立国のままとし、ロシアと日本が国策開発会社を作ることで、それぞれ満州と朝鮮の天然資源を開発する」と提案していたという史実もあったそうだ。おそらく日露戦争は避けられた

・ 「日本は中国の満州地域をロシアから守るため、いわば中国のためにロシアと戦った」との「講談調の歴史解釈がなお根強くのこって」いるが、実際は、「朝鮮半島を自らの安全保障上の懸念から排他的に支配しようとした日本と、それを認めようとしなかったロシアとの間で戦われた戦争」が日露戦争で、満州を引き合いに出したのは米英を味方にしたかっただけ。今風に言えば、嘘も捏造も繰り返して言えば本当になる。結果、「「数十万の生霊を失い、二十億の負債」を負って満州を守った」という神話になって行く

・ 「「日本書紀」が、天皇に服属している国として朝鮮半島の国々を描いている点に着目し、そのような虚構や創作が国内支配にとって不可欠だった」(吉野誠)のは、唐に擬して「天皇と称するならば、朝貢国を持たなければならず、周辺諸国のうちでそれを見つけるとすれば、それは朝鮮半島の新羅に求める」しかなかったからだ。・・・ それが明治維新が蘇る。木戸ら時の政府には、「国内反対派からの強い批判をかわし、王政復古の理念によって国内輿論をまとめる手段として、朝鮮の服属という古代以来の虚構が必要とされ」

・ 「日本の朝鮮観・中国観の特徴として挙げられるのは、通商上の利益や領土の獲得といった対外関係上の問題としてではなく、国内向けの問題としてそれが語られていたということである」

・ 「日本軍の砲弾は開戦半年で枯渇し、日本はクルップ社やアームストロング社に急遽砲弾の発注を余儀なくされた。国内工業力の低さという現実はいかんともしがたく、費用の割に予想外に低かった砲弾による殺傷率もあり、白兵突撃主義へと、時代を逆行する思想が抱かれるようになってゆく」・・・こんなひどく経済的な理由もあったのかと驚く

・ 旧来の国際法の了解では、戦争責任は、国家=国民全体の負うべきもの。 国民責任論は、賠償の支払いや土地の割譲という形で実現され、国民に負担を負わせるが、敗戦で国民は奴隷になってしまい、絶望的な抵抗を招きかねない。国民に負担を負わせず、侵略戦争は国際犯罪なのだから、刑事罰は個人、戦争指導者が受けて当然という考え方となる

・ 蒋介石は日本との交渉を真剣に考えていた。「独日路線を選択しかけた蒋の希望を絶ったのは日本側だった。一一月二八日の大本営政府連絡会議の席で松岡は、本工作を打ち切り、汪政権を承認する旨を宣言した」

・ 「あれほど武装解除を拒否していた軍が、この武装解除を含んだポツダム宣言受諾に屈した理由の一つは、明治天皇による詔勅とその歴史的記憶を動員した天皇の言葉の威力にあった」、というが、そこまで威力があるなら、なぜ5,6月に辞めなかったのだ。

・ チャールズ・ファースの日本計画の興味深い内容・・・「天皇シンボルは、軍部への批判の正当化と平和への復帰を促し、強化するためにも利用することが可能なのである」



そして、テーマやエピソードを乗り越えて、この伊丹万作らしき人の言葉が、本当の怖さを教えてくれる。

・ 「戦争の期間を通じて、誰が一番直接に、そして連続的に我々を圧迫し続けたか、苦しめ続けたかということを考えるとき、誰の記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接しなければならない、あらゆる身近な人々であったということは一体何を意味するのであろうか」









加藤陽子「天皇と軍隊の近代史」(勁草書房 2019.10.20)
はしがき
総論 天皇と軍隊から考える近代史
1. 天皇と軍隊、その特別な関係
2. 軍の論理と「幕府」論の存在
3. 徴兵制と軍人勅諭
4. 宮中側近への攻撃と満州事変の作為
5. 共産主義の影
6. 士官候補生の天皇観
7. 事件の計画性について
8. 上海事変の持った意味とは
9. 皇族という不安と詔書渙発
おわりに
第1章 戦争の記憶と国家の位置づけ
はじめに
1. 戦争の記憶
2. 日清戦争研究の現在
3. 日露戦争研究の現在
おわりに
第2章 軍国主義の勃興
はじめに
1. 日本の朝鮮観・中国観の特質
2. 政軍関係の特質と構造
3. 日清・日露開戦の過誤と正当化の論理
4. 植民地帝国日本の権益と国際情勢
第3章 第一次世界大戦中の「戦後」構想
はじめに
1. 背景となる時代状況
2. 会議録の分析
3. どのような論拠で利権を奪取するか
おわりに
第4章 1930年代の戦争は何をめぐる闘争だったのか
はじめに
1. 国際軍事裁判所条例の革命性
2. 指導者責任論が成立した背景
3. 1930年代アメリカの「中立」
4. 日中戦争を語る語意から見えるもの
第5章 総力戦下の政-軍関係
はじめに
1. 政軍関係論と第一次大戦
2. 統帥権の内実の変容
3. 宣戦布告なき戦争
4. 対米英蘭戦争へ
おわりに
第6章 大政翼賛会の成立から対英米開戦まで
はじめに
1. 欧州情勢の激変と近衛新体制の始動
2. 国策決定の新方式と非決定の内実
3. 「革新」派の論理と大政翼賛会の成立
4. 三国同盟の調印と自主的決定の確保
5. 国際関係のなかの日米交渉
第7章 日本軍の武装解除についての一考察
はじめに
1. 武装解除をめぐる攻防
2. 昭和天皇と遼東還付の詔勅
3. アメリカのジレンマ
4. 実際の武装解除過程
おわりに
第8章 「戦場」と「焼け跡」のあいだ












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