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zoom RSS 平川克美「復路の哲学」

<<   作成日時 : 2015/01/05 18:20   >>

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「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」という向田邦子の言葉(「あ・うん」)から始まり、「語られることもなく、ただ耐えるだけの日々を送り、語ることを自ら禁じてきたようなおとなたちに寄り添って」、人生の往路から復路へと足を踏み入れた、おとならしい言葉をつむいでゆく随筆だ。 

「今の日本は自分に似合わぬ山に登りたがる成熟できない子供じみた大人のようだ」と評するように、世の中からやや一歩引いた感じもする。 儲からない喫茶店を荏原中延に開いたり、私も好きなラッセ・ハルストレムやフェリーニ、カウリスマキの映画を愛でたりして、ちょっと浮世離れでもある。  しかし、一方では、内田樹と盟友でもあり、中国に対抗するための改憲を主張する片山さつき氏らを子供っぽいと評し、改憲論者は聖徳太子(の17条憲法)も理想主義として罵倒するのかと、なかなかはっきり、小気味良いことも言う。

1964年東京オリンピックでは閉会式が感動敵であった、それは、自由と平和の実感だったと、閉会式を話題にするなんて、まさに私と同年代。 私も閉会式の光景は、くっきり記憶にある。  しかも大田区久が原の町工場が実家というから、ほとんど同郷人でもある。  ただ、近所で初めてのテレビでプロレスを見たというから、嗜好はだいぶちがう。

このようなエッセイは、生きてゆく上ではまったく読む必要の無い暇つぶしにすぎない。 しかし、復路も復路、ゴールよ早く来いと思う歳になってみると、案外、心にしみるところもないではないのである。



本筋とはあまり関係ないかもしれないエピソードで記憶に残ったもの


以下の二つは、おとなとはなにか・・・といったこと

・「それまでは何でもできる、何にでもなれると思っていた自分には限界があること、できることとできないことがあることがありありと分かり始める、そうやって人は大人になり、どこかで人生の往路から復路へと足を踏み入れることになる」 

・ 「「私」にはどうにもならないものに対して、それでもそれは「私」の問題なのだと名乗りを上げることだ。 責任のないものに対して責任を取るということ、それが「大人になる」ということではないか。」



・ 「 やさしいこころの持ち主は
   いつでもどこでも
   われにあらず受難者になる」
(吉野弘「夕焼け」)


・ 




平川克美「復路の哲学」( 夜間飛行 2014.11.28)

復路の哲学
お客様は神様です
父親と観た映画を思い出す
厩橋の男とその知人
「機縁」と「責任」を考える
されど、カリビアは微笑まん
自然死について
還暦を過ぎると風景の色が変わることについて
見えるものと見えないもの
飽食があたりまえの時代
鉄の時代から来た男
往時茫々、1964東京オリンピック
子供は判ってくれない
ペルソナ
大人が行き交う町に住むということ
私が「喫茶店の親父」になった理由
ライカ犬よりはましな人生
成長は子供の特権、成熟は大人の見識
みんなトイレで大人になった
のれん
領土をめぐる思考
大人の国の憲法
始まったものは必ず終わる




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