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zoom RSS 赤坂真理「東京プリズン」

<<   作成日時 : 2015/11/23 13:17   >>

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主人公の「マリ・アカサカ」は、どこまで作家赤坂真理の分身なのかは定かではないが、そのことと小説の本質とは本来は関係ないだろう。 しかし、あえて同じ名前を使うと言うことに意味はあるのだろう。 15歳で米国メイン州の片田舎の高校に不本意ながらも転校させられ、孤独のうちに過ごしたマリ・アカサカは、米国にいる意味と母親との関係を問い続けてゆく。 同時に、作家赤坂真理の天皇、東京裁判にかかわる歴史観を、何の拘泥もなく、語ろうとしている。 

なぜ、このような想定が必要だったのか。 外国に暮らして初めて日本人を知るという、ごく平凡な動機なのか。 それともネイティブ・アメリカンの住む米国の森が必要だったのか。 それとも、構想の凝り過ぎか。

ふたつの物語が時空を越えて錯綜している。 2010年のマリ・アカサカが、1980年のマリ・アカサカと会話してゆく。 それが、ときどき母親とかわる。 母親は戦後GHQで通訳として働いていた。 その頃の話を訪ねても母親は相手にしてくれない。 

メイン州の森で撃ったヘラジカが、まるで「もののけ姫」のシシ神のようにマリの幻想の中に生きつづける。 雪の森で出会った「大君」やネイティブ・アメリカンは、まるで原始の神道を司る天皇のようなイメージになってゆく。

言葉のハンディもあって成績の悪いマリは、社会の先生から、天皇の戦争責任についてディベートに成功したら単位を認め進級させると約束される。  しかし、マリは戦争のことも天皇のこともあまりに無知で、いっこうに学習がはかどらない。 このマリの無知のおかげ?で、小説の進行も全く滞ったままだ。  読者向けの基礎知識サービスともおもえない。 それが最終になって、一挙にダイナミックな展開や結論に流れ込んでゆく。 無知なマリ・アカサカが、あそこまで論理を展開できるわけはない。 天皇が乗り移ったのか、あるいは、日本人に目覚めさえすれば、あのくらいのことは耐えるのか。 なんとも不自然な成り行きだが、もともとこの小説自体がファンタジーだから不自然でもしかたない。 

赤坂真理氏の歴史観は、理解できるが、ちょっとあやうい。 「自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、わたしたちの負けだった」という言葉は正しい。 しかし、赤坂氏はどちらかというと、他人の過ちの方を強く言いたいようだ。 

「私は考える。 そして、戦争が終わったら、日本人全体がアメリカの前に"女"になったのか、それとも、軍部を一掃したから、あとには女が残ったのか」 と、戦争に負けて、敵国だった米国に追従していることがたまらなく嫌悪なのだろう。 東京裁判も当然否定的であるし、南京事件等の「過ち」は、兵隊たちの過ちは、天皇、自分自身の過ちだと懺悔しつつ、それでも東京大空襲や原爆投下よりはましだろうと主張する。 三島由紀夫の「などてすめろぎはひととなりたまいし」に通ずる感性をお持ちのようだ。

正当に、米国の戦争犯罪を追求することは良いことだ。 しかし、それは、天皇都は、直接何の関係もない。 米国は、確かに宗教が違うから、肌の色が違うから、平気で大空襲も原爆も投下できたのでしょう。 しかし、それと、天皇とは関係のないことです。 天皇と一心同体になる必要も、帰依する必要もないのです。 


赤坂真理「東京プリズン」(河出文庫 2014.7.10)
第一章 十五歳、アメリカ最果ての町にて
第二章 謎のザ・ロッジ
第三章 マッジ・ホールに潜入せよ
第四章 ピープルの秘密
第五章 米軍の谷、贄の大君
第六章 十六歳、敗北を抱きしめて
第七章 世界曼荼羅に死の歌を
最終章 十六歳、私の東京裁判

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