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zoom RSS 伊東乾「笑う親鸞 楽しい念仏、歌う説教」、ユニークな、音楽家による親鸞布教の洞察

<<   作成日時 : 2016/09/22 05:58   >>

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筆者は、クラシック音楽家にして作家、音響に詳しい、真宗にも詳しい、ユニークな方だ。  小沢昭一氏が集めた日本の話芸の中に真宗の「節談説教」があり、感動した筆者が、親鸞聖人の布教が文字も読めない民衆でもわかるような、楽しく歌うようなものではなかったかと研究してゆく。 

「落語、講談、浪花節・・・あらゆる寄席芸はもともと浄土真宗の説教から始まったと」モノの本にあったらしい。 

 「ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるひとびとを、こころえやすからんとてしるせるなり」の愚禿は、きっと、民衆に楽しく、分かりやすく仏の道を説いたのに違いない。 

そのなかに、音楽の役割もあったろうと、縁あって筆者は、名古屋の真宗寺院で、たいへんユニークな試みを行う。 それは、「清浄学法会」と呼ぶ法会であって、「正信偈」と「念仏」と、日本の讃美歌といってよい「和讃」を雅楽の調べで、合唱するような試みだった。 

「お寺の建築、とくに「本願寺様式」の寺院建築は、典型的な「和様」と「唐様」の折衷建築として室町中期から戦国時代に発展した」ものだが、 もともと寺の建築は、経の声が遍く響き渡るように建築されている。 バイオリンの魂柱にあたるようなものが床板の下に設置されている。 南無阿弥陀仏でもアーメンでも、その言葉の意味など気にせずに音の響きが大事なのだ。 

親鸞の書に「宮商和して自然なり」があ。 「「宮商和して自然なり」というのは、仏説つまりお釈迦さん自身が古代インドで語った内容を、親鸞さんが生きた同時代の人々に、より生き生きと、リアルに伝えるために脚色した、機知に溢れる描写だったのだ」 とある。  この「宮」「商」は、雅楽器の笙の音階だから、親鸞は雅楽に通じていた。 


その他、本論とは関係ないが、おもしろいと思ったことも多い。 たとえば、

「お経というのは大まかにいって三つにわかれています。 お釈迦様自身の教えや教義を記したのが厳密な意味での「経」で、それ以外に仏教の戒律を記したものが「律」、それから経典を基にして哲学的な理論を展開したものを「論」といって、「経」「律」「論」の三つを合わせて「三蔵」と呼んでいます」

「釈迦や直弟子の時代、教えを文字に書くことすら禁じられるくらい、仏教の教えは抽象的なものだった。それが今日のように仏像を刻んで、その御本尊を拝む形をとるようになったのは「ヘレニズム文化」つまり古代ギリシャ文明の影響なくしては不可能だった」

「・・・真宗寺院の原点は、京都東山、銀格で知られる慈照寺の「東求堂」・・・」







伊東乾「笑う親鸞 楽しい念仏、歌う説教」(河出書房新社2012.5.20)
はじめのはじめの、つれづれに
一 元祖浪花節・親鸞聖人
二 仮に来て、教えて帰る・・・
三 光顔巍巍・威神無極
四 信心があろがなかろが
五 猿楽法師・蓮如上人
六 宮商和して自然なり
七 天竺問答・親鸞聖人和讃事始
八 念仏往生・清浄楽正信偈次第
はじめのおわりの、うたかたは・・・



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