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zoom RSS 伊藤桂一「遥かなインパール」

<<   作成日時 : 2016/12/16 09:51   >>

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1944年3月15日にスタートし、8月末に悲惨な終わり方をした、インパール作戦の詳細な経緯を、第60連隊(松村部隊、祭兵団)の将校・兵士の証言をもとに構成、戦記小説化したもの。

牟田口中将の発案になるインパール作戦は、大本営でもビルマ方面軍でも無謀な作戦と否定されたもので、(日本陸軍にありがちだが)、それでもなぜか実施に移された。  主力の松村部隊は急遽編成されたもので、砲弾などの装備や人数も、主力とはいいがたいものだった。 

更に、圧倒的に量秣が不足していた。 数日分持っただけであとはお決まりの現地調達だから、兵士は、野草をはみ、カメレオンを捕まえて食べた。 そして、英印軍は、日本軍を引き寄せては弾の途切れることなく徹底的な火力で迎え撃った。 日本軍と違って、出血を抑えるために白兵戦も避けたし、撤退も柔軟だった。 

本多挺身隊とか、少人数の挺身隊は、首尾よく成功し、コヒマ・インパール道を制圧、補給路を絶ったはずだったが、制空権は英軍が握っていたので、空からの補給まで絶てたわけではない。  しかし本隊は、サンジャック、カングラトンビ、センマイ・・・と、インパールの遥か手前の拠点で、敵の圧倒的な火力の前に、次々に全滅もしくはほぼ全滅していった。 各部隊の連携も乏しく、少ない砲を集中して投下すれば、本隊の支援になるのに、返り討ちされることを恐れて殆ど使わなかった。

松村部隊の中でも、大隊長の性格によって兵士の運命は変わってゆく。 福島大隊長は兵士が死んでも自身が上から評価されることを重視するのが見え見えで、全滅するまで突っ込ませた。 そして、報告があるからと自分だけは逃亡しようとして、被弾して怪我し、希望通り、撤退できたのだ。

消耗していく部隊に対して、軍司令部は、戦場の実態を把握せず、突進命令ばかりだす。 殆ど戦死して隊の体をなしていないと報告すれば、お前はまだ生きているじゃないかと返される。 敵の豊富な弾薬、迫撃砲、戦車に対して、日本軍は、小銃、それも弾を節約しつつ使う、それで勝つわけはなかった。 それでも、松村隊を中心に、命令を遂行しようとする意識は高かった。

「一門の火砲もなくて、どうしてインパールへ突入できるだろう。 しかも徒歩で道路上を駆けてゆくのだ。(略) 司令部には、前線の事情が、何一つわかっておらんのだ。 兵数二百にも満たぬ部隊に、インパールへ突入せよ、という命令が、いったいどこから出てくるのか」

いよいよもう戦いにならないとわかっても、転進命令が出ないため、松村部隊は、敵の攻撃を支え続けたが、北部でインパールに向かっていた、烈部隊が、命令も受けていないのに、独断で撤退を始めたため、敵が一気に近づいてきた。 烈部隊は、糧食もないのにインパール突入はできないと、食料のあるところに転身するという、言い分だった。 

漸く転進命令が出て、ミッションからウクルル・・・と、渡河点に撤退してゆく。 山道は死者で溢れ、白骨街道と名付けられた。 弱弱しく座りこんで死を待つだけのものもいれば、這ってでも生きて帰るものもいる。 人の荷物や靴を盗む要領の良い者もいれば、ひたすら患者の担架を担ぐ使命感にみちた者もいた。 

途中から変わった柴田兵団長は、インパールへの進撃を主張し続け、部隊長や参謀、中隊長などの説明を聞こうともしなかった。 松村部隊長は、 「敵を知り己を知るものは百戦危うからず、と孫子は教えている。 敵状も、自軍の実情も知らずして、いかにして全軍の指揮をとられるおつもりなのか」と、語る。

日本軍は、現場の兵士の過大とも言えるがんばりにもかかわらず、勝てるわけがない。 
しかし、この日本軍の性格は、戦後の日本社会も同じく続いているのかもしれない。


伊藤桂一「遥かなインパール」(新潮社 1993.2.20)
[前章] インパールへの遠い道
一 本多挺身隊ミッション橋
二 サンジャックの戦い
三 カングラトンビの戦い
四 センマイ高地の戦い
五 二つの挺身隊と岩田中隊の全滅
六 ライマトルヒルへ
七 ライマトルヒルの戦い
[後章] 渡河点までの遠い道
一 北インパールの戦いとミツションの悲劇
二 ミッションよりウクルルへ
三 ウクルルより渡河点へ
四 渡河点付近にて




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