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zoom RSS 田中克彦「従軍慰安婦と靖国神社」

<<   作成日時 : 2017/02/12 15:57   >>

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従軍慰安婦についても靖国神社についても、筆者は特に勉強していない、歴史学者と対極にいる言語学者としての単なる随想だという。 謙遜かとおもったが、ほんとに大した勉強はしていなのかもしれない。 

以前橋下徹氏が従軍慰安婦制度のようなものはどこの国だってやってると知ったかぶりの嘘を語っていたが、田中克彦氏は、ほかもやってるなどという論議は論理にならない恥ずかしい論議といい、なぜ日本だけがこんな恥ずべき制度を作ったかを、推論しているのだ。

田中氏の答えらしきものを引用しておこう。 「日本のオトコにかぎって、オンナに言い寄り、「させてください」と頼み、相手もしたくなるようにさそう教養と技術に欠けていたからだ」 ・・・ うーむ。 他国に無くて日本だけの理由って、確かに町に出て、敵国のオンナに声をかける勇気は、日本のオトコにはないだろう。 ましてや当時の貧しい田舎の男たちには。

慰安婦像の設置は、こころの問題を政治の問題にすることで賛成できないらしいが、「ぼくの提案というのは、慰安婦像もうでの巡礼を行うということだ。目的は心から慰安婦に監視し、謝罪するためである」というのは、とてもいいとわたしもおもう。 

従軍慰安婦についての随想は、随想らしくて悪くない。 ただ筆者に人権問題という認識はあるのだろうか。 ドレイという言葉を気にしているのは、そこが欠けているからではないだろうか。 オトコとオンナの話でもあるが、むしろ人権の問題でもあるというところだ。  しかし、概ね。 悪くない。 

しかし、靖国神社問題についての筆者の随想は、正直言って、何が言いたいのかよくわからない。 靖国の話よりも、筆者はなにか歴史学者に恨みでもあるかのように、歴史と歴史学者についてばかり、随想を広げている。 

靖国もクジラも日本の文化であると主張し、「靖国神社はクジラよりもっと大切なものなのは言うまでもない。 それは日本人の霊魂観のそのままの現れだからである。そして、それがたとえ政治家の利用するところになったにせよ、だからといってそれを外国に頼まれたとはいえ国家権力をもって禁ずるのは権力の不当介入というものだろう」というのは、賛成できない。

 筆者はなにか誤解しているような気がする。 靖国は日本の文化なんかでは絶対にない。 日本の神道の世界とも異なるし、伝統的な死者に対する鎮魂とも異なる。 だから、靖国が「日本人の霊魂観のそのままの現れ」では、決してないと、私はおもう。 靖国は権力そのものだったし、いまもそうだ。 だから靖国は民衆知にはなりえない。 




田中克彦「従軍慰安婦と靖国神社」(KADOKAWA 2014.8.24)
第一部 従軍慰安婦問題について
第二部 靖国神社問題について

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