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zoom RSS 中島岳史・島薗進「愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか」

<<   作成日時 : 2017/05/04 20:02   >>

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明治維新は「儒教から派生した尊皇の政治の希求」と「古代律令制の日本版である神道国家への回帰」がもたらした。 
 
江戸末期に、「中国は王朝が変遷しているが、日本は万世一系である、それならば、中国よりも日本のほうが儒教的である、だったら、日本の連綿としたものを追求すべきだ」という、中国より日本をよしとする国学が盛んになった。

中国的な「漢意」は設計主義的であるとして否定、日本的な「大和心」と、古代社会の中に天皇と人民が一体化するような「一君万民」の理想を見いだしていく。その言わばユートピア主義こそが右翼思想の源流であるという。 

しかし戦前のユートピア主義のひとつは。社会を宗教的・合理的に設計すれば、理想的な社会が実現できるという設計主義的なユートピア思想でした。

その一角を担ったのは、八紘一宇の提唱者でもある、国柱会の創始者田中智学、そして大川周明、北一輝、後の石原莞爾らの日蓮主義であった。

「宗教的信仰を国家社会の発展や変革のヴィジョンと結びつけるには、信仰を国体論と結びつけ」、「例えば、末法の世に出現する上行菩薩を天皇だと言ってみたり、法華経の中の「転輪聖王」や「賢王」といった存在を天皇と同一視して」いった。

一方、近角常観、三井甲之、蓑田胸喜らしてい三代にわたる親鸞主義者たちがいる。三井甲之が創刊した「原理日本」に流れる思想は、ユートピア的右翼そのものだが、絶対他力思想が、設計主義的な行動・思想を徹底的に批判排除することとなり、弥陀の本願が天皇の大御心へとすりかわっていき、自力を捨て、天皇のもと、大御心のもとに、ありのままの状態であることが、絶対他力の幸せな状態なのだという主張になってゆく。 当然、合理主義者、国家改造者などを徹底的批判し、天皇機関説の糾弾で、国体明徴運動が起きることになる。それが、軍部主導の政治の道を開き、全体主義の地ならしをしていった。

要するに、「すべての主権は天皇にあって、そこに余計な計らいを人間がやるべきではないという、国体論を取り込んだ親鸞主義者たちによって、戦前の立憲主義は廃棄されてしまった」。

1890年に教育勅語が発布され、1930年代には、一般の人々は、国家神道の教育を受けて、天皇崇敬や国体思想が当たり前になっている。  宗教指導者も、その風潮に引きずられてゆく。

また、浄土真宗の真俗二諦論や天台本覚思想と結びついた日本の浄土教の思想が、あるがままの現実の肯定、仏教の真理と世俗の心理が共に真理として両立、浄土真宗の信仰と国家神道を、ひいては全体主義的な日本主義を両立させる根拠となって全体主義を承認してゆく ・・・・


中島岳史・島薗進「愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか」(集英社新書2016.2.22)
第一章 戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか
第二章 親鸞主義者の愛国と言論弾圧
第三章 なぜ日蓮主義者が世界統一をめざしたのか
第四章 国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教
第五章 ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走
第六章 現代日本の政治空間と宗教ナショナリズム
第七章 愛国と信仰の暴走を回避するために
第八章 全体主義は甦るのか





  





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