映画「白いリボン」は、消化不良はあるが、緊張感あるしっかりした映画-ある意味ネタばれ-

最後まで行って、若干消化不良を起こす。 事件の真相は結局は明確に語られないからだ。 ネタが不明で終わると言う、一種のネタばれだ。 私が何か見落として、結末を理解していないのかと不安あるが、その不安をそのまま受け止めることが、この映画の望ましい見方なのだろう。 しっかりした作りの映画だ。 

ドイツの片田舎の村。 村民の半数が男爵に雇われ、麦や野菜を育てている。 一見、長閑な農村に、様々な事件が起こる。 話の語り手は、しばらくして、教師だとわかる。 最初の事件は、馬で帰宅したドクターが、何者かに張られた針金のせいで落馬し、大けがをする。 そのとき、クララをはじめとした子どもたちがドクターの家の方に向かったのを、教師が後になって気がつく。 それで、この事件には、子どもたちが関係しているのではないかと伝わる。

ドクターの事件の犯人が不明なまま、ある小作の妻が製材所で転落死する事故が起きる。 その息子は、男爵や家令?の管理責任だと恨み、父親に、なぜ、黙っているのかと責める。 父親も、我慢しているわけではないが、男爵に文句を言っても、死んだものが帰ってくるわけではない、それに、職を失ったら食べていけないと息子を諭す。

ドクターの息子、ルディは、小作の妻の死を観て、姉のアンナに、死について尋ねる。 そして母親も旅に出ているのではなく、死んだのだと知る。 父も死ぬのかと問う。

収穫祭の日、母を失った小作の息子は、男爵のキャベツ畑を鎌で荒らしてしまう。 男爵を、母の死の恨みに思ってのことだ。 小作の息子は、父からなんてことをしたのだと叱られるが、警察に自首する。 父もフリーだも職を失い、その後父は首を吊って自殺する

一方、村の子どもたちと遊んでいた、男爵の息子ジギの姿が見えなくなっていた。 村人が総がかりで探すと、製材所の柱に、足から逆さまにぶら下げられていた。 男爵は日曜日の礼拝のとき、村人を前に、もし犯人が捕まらなかったら、村は不幸なことが起こるだろうと告げ、早く犯人が名乗り出ることを期待した。 村人は、段々と不安と疑心暗鬼のなかに暮らすようになる。 何件かの告発があったが、みな証拠がなく終わった。 

牧師の娘、クララとマルティンは、なにかを隠しているように見える。 マルティンは、悪事のせいで神が自分を殺すかもしれないと橋の欄干を歩いて試してみる。 「悪いこと」が何かはわからない。 牧師の父が疑い責める自慰らしきことか、別のこと、例えばドクターの怪我に関係していることなのかもしれない。 クララとマルティンは、牧師の子どもたちとしての期待を裏切り、子どもの頃にしていた純粋さを示す「白いリボン」を、再びさせられることになる。

マルティンは、手足を縛られて寝ている。 ある晩、 窓の外で火事が見えて、騒ぐ。 製材所が放火で焼け落ちた。 この犯人も誰かはわからない。 

ドクターの息子ルディが父に会いにゆくため一人で村を離れたと聞いて、ドクターは町の病院を早く退院して戻ってきた。 そして、隣に住む家政婦兼看護婦のワグナーと、夫人が亡くなる前から関係があったことが語られる。 そして、自分の娘のアンナにまで手をだすような、とんでもない男だということもわかる。 ドクターはワグナーを捨てるひどい言葉を浴びせる。 

ワグナーの息子カーリは知恵遅れだが、ワグナーは溺愛している。 カーリがジギよりも、もっとひどいことをされる夢を観たと、家令の娘エリナが、教師に訴えた。 それが正夢となる。 ある晩カーリは行方不明となり、森の中で失明寸前の暴行を受けていたのを発見される。 

男爵は、ここにおよんで、町の警察に訴える。 警察が調べるが犯人はわからない。 エリナの夢は、誰かの話を聞いたものだろうと執拗に攻めるがわからない。 

ジギの静養のためもあって、イタリアに行っていた男爵夫人が戻ってくる。 ジギと池の端で遊んでいた少年たちは、手作りの笛がうまく吹けないのに、ジギが高価な笛を吹いているのに頭に来たのか、ジギを池に突き落として、笛を奪う。 家令がそうと知って、取り返しに来る。

男爵夫人は、迫害と脅迫と暴力や悪意に満ちたこの村から出てゆく、 男爵と暮らしても楽しくない、イタリアの男性に恋をしたのだと、そして、事件が解決しないのも男爵のやり方が悪いせいだと責める。 そのとき、家令が、サラエボでオーストリアの大公が暗殺されたと言うニュースをもってくる。 第一次世界大戦のきっかけとなった事件だ。

村は、多くの事件の原因がわからないまま、時代の変わり目への、戦争への期待感に包まれてゆく。 

白いリボンにも拘わらず、クララはちっとも牧師の期待通りにならないことを知った牧師は、神学の授業のとき、クララを起たせた。 クララは突然気を失って倒れる。 そのあと、牧師が可愛がっていた小鳥のピーピーを、クララは、ハサミで突き、殺してしまう。 やはり、この子どもたちは、残酷さや暴力をこころに育んでいる。

ある日、カーリを傷つけた犯人がわかったと、町の警察に知らせに行くと言って、ワグナーが教師から自転車を借りて、村を出て行った。 不審に思った教師は、ワグナーの家に行くと、クララをはじめ、子どもたちが家を取り囲んでいた。 隣のドクターも子どもたちと共にいなくなっていた。 教師は、クララとマルティンに、アンナから何か聞いていないか、ドクターの事件のとき、なぜドクターの家の近くにいたのか、ジギがつるされたとき、一緒に居たのではないか、カーリが失明されたときどこにいたのか・・・と、事件との関係を問い詰めたが、結局わからなかった。

そして、ワグナーもドクターも二度と村に戻ってこなかった。 村では、ドクターとワグナーは関係があり、すべての事件は、二人が犯人だったという噂が流布されてゆく。 

そして、ここで映画は終わるが、時代は、第一次世界大戦に突入、敗戦するドイツは、ワイマール共和国となり、男爵も居なくなるのだろう、そして、クララのような子どもたちが、成人してナチスを支援してゆくことになる。 そう思うと、クララの顔や、クララと一緒に居る子どもたちの顔は、まるでヒトラー・ユーゲントの顔だ。 

結局、真相は、あからさまには、明確にならない。 しかし、誰が犯人だったにせよ、男爵や牧師やドクターなど、指導的立場の人々の在り様が、子どもたちの暴力と悪意を育てて行ったことは、間違いがない。 ハネケ監督の意図が、ナチズムに向かう人間の根源的な心の原因を描きたかったものなのか、それはわからない。 が、見る方は、そう受け取るのが自然だろう。 

ミステリーと捉えると、やはり犯人を特定したくなるが、それはヤボということだろう。 犯人探しをすると、いろいろ矛盾がある。 しかし、久しぶりのモノクロ映像、暴力をテーマのひとつにしていながら暴力シーンのない抑制された場面、 映画のはじめの場面、タイトルから全く無音の静けさ ・・・ 楽しい映画ではないが、見ておいてよかった映画であることはまちがいない。 





ミヒャエル・ハネケ「白いリボン」(ドイツ、2009) カンヌ国際映画祭パルムドール





この記事へのコメント

芋田治虫
2018年04月01日 17:09
ドイツの学校で、「ヒトラー・ユーゲントと国民突撃隊」は無罪と言った生徒を、担任の教師が射殺するという事件発生。↓
https://youtu.be/LC1pBq1UevU

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