松尾匡(ただす)「反緊縮宣言」は必読本

ギリシャのバルファキス、アメリカのバーニー・サンダースとオカシオ・コルテス、そして日本の山本太郎が訴える経済政策を理論的に支える経済学であり、運動である「反緊縮」を、様々な角度から分かりやすく解説している。率直に言って、なんでもっと早く出版されなかったのか、これほど多くの人が読むべき本なのになぜ図書館の予約がほとんどないのか、そんなやり切れない思いに駆られる。はっきり言って必読本である。

山本太郎氏の消費税ゼロの主張に、与党はもちろん野党も現実的でないと批判する。財政は破産寸前なのだと。しかし、「反緊縮」左派の人びとは、「「財政危機論」を緊縮派のプロパガンダだとみなしています」。「緊縮派」とは、「緊縮財政下でも莫大な利益を上げることができるグローバル企業や資本収益率の高い資本家や富裕層、そしてそうした企業や資本家と強い利害関係を持つ政治家たちや新自由主義者などが含まれて」います。

従って、「反緊縮」の主張は、必然的に新自由主義や富裕層に敵対したものとなります。 筆者は4つの特徴として、社会保険や教育などのための支出増、景気拡大・雇用増、金融緩和の利用、富裕層への課税強化・大衆増税に反対、を挙げています。まさに逆累進性の消費税増税など、とんでもない政策となるわけです。それに、私には従来の常識が覆る、びっくりする内容ですが、いわゆる「財政ファイナンス」をタブー視していません。民間の貨幣と異なり、中央銀行による貨幣創出は利用すべき政策なのです。

1000億もの借金があるから・・・という危機感に対して、私には、何が真相なのかわからない。ひょっとして、経済学なるものも、何が正しいかわからないのだろうと思う。そうでなければ正反対の対策が主張されるはずがない。 
「反緊縮」は、まず、「日本の国債金利は、完全無借金のドイツと並んで、先進国最低の水準」であると指摘する。だから、信用度は高いのは金融の世界の常識だろうと。 次いで、2016年度末の数字で、連結ベースで国が抱える負債(1470兆円)から、世界一抱えている資産(986兆円)を差し引けば、純債務は483兆円だ。「この年のGDPは538兆円だから、国が抱える本当の借金は、GDPの9割だ。これは、先進国として、ごく普通の借金のレベルだ」と計算する。さらに資産は売る気になれば売れると。

さらに、こんなマジックを唱える。国債には利金も元本もあるが、日銀券にはない。「国債を日銀券にすり替えた瞬間に、政府の借金は消えるのだ。消える借金の額を経済学では、通貨発行益と呼んでいる」と。 それを考えると、「政府が抱える純粋な債務額は、483兆円マイナス418兆円で、わずか65兆円ということになる。日本の財政は、ほぼ無借金なのだ」と。 その証拠に、「国際通貨基金(IMF)が2018年10月に、世界の主要国政府のバランスシートを比較し、「日本の公共部門の純債務はほぼゼロ」だとする報告書を公表しました」

借金をそれほど気にしなくてよいならば、日本はどうしたらよいのか。 反緊縮の政策を実行して、デフレを脱却し、成長を拡大することである。決して低成長に甘んじることではない。 そのためには、総需要拡大の政策を実施することだ。 

「総需要=消費+投資+政府支出+輸出 – 輸入」だから、例えば、社会保障の充実・賃上げ、消費税減税、金利の引き下げ、政府の財政出動、為替レートの切り下げ ・・・ など、櫃者は例示している。よくみると、そんなに選択肢が多くはない。 消費税減税は、このなかでやる気になれば簡単にできる政策だと私は思う。 消費税減税とともに法人税率を引き上げるべきだ。 

アベノミクスに対する評価で、よく「第三の矢が不発」といわれる。「しかしスティグリッツが強調しているように、総需要が不足している状況下でいくら構造改革を推し進めても「失業を増加させるだけで、経済成長には寄与しない」」。むしろ、「不発だったのは第二の矢のほう」で、「クルーグマン、スティグリッツ両氏は消費増税には反対だが、増税すべてに反対ではない。彼らが求める財政出動には財源が必要で、例えば環境税や相続税、法人税の増加を推奨している」。
 
消費税減税などをしたら社会保障の財源が・・・という議論は、山本太郎氏に任せたい気がするが、この本では、もともと社会保障は税金よりも多くは社会保険料で賄われているじゃないかと反論している。「日本が消費税率を引き上げる際には、社会保険料の労働者負担を引き上げ、その分企業負担を引き上げなければ、バランスがとれない」とも。

緊縮を旨とする文化は新自由主義と結びついて、暗く分断を助長する。

「国の予算がない。財政が赤字だ。だから、支出を抑えて、「選択と集中」をしなければならない。もう、福祉とか教育とか言っている場合ではない。こういう考え方が集まってできた雰囲気みたいなものを、「緊縮文化」と呼んでいる。もう私たちにはお金がないのだ。だから、これからは、自分のことは自分でやるのだ」 そして、維新の会の大阪府政のようなことになる。 「金がない、と言われたら、誰も何も言い返せない。財政赤字というものが、人を殴る棒のようになった。その棒で殴られたのは、教員、公務員、音楽家、芸術家、図書館、保育園、労働組合などの人びとだ」と、筆者の指摘は鋭い。 

さらに、「負担を共有することの断固たる拒否、他者に対するあからさまな敵意、世界のすべてを勝ちか負けかで判断する態度、こういうものの中心にあるのが、もうこの国には、あるいはもっと、もうこの世界にはお金がないんです、という強固な信念で、この信念がさまざまなヘイトスピーチや自己責任論を生み出して、全体として緊縮文化とでもいうべきものができあがってしまった」

これは言いすぎではない。いまの日本の社会の分断と冷たさの酷さは、こんなところに遠因があるのだろう。

「経済成長の時代には、人々は豊かさや満足度を他人ではなく過去のじぶんとくらべることで幸福な気持ちになれる。ところが、成長が停滞し所得が伸びなくなると他人と比較するようになる。そうなると利他主義が後退し、寛容な社会ではなくなってしまう」

ここまでくれば、多くの、富裕層ではない人々は、反緊縮運動に賛成するだろう。

反緊縮運動として顕著なものは、ヤニス・パルファキスのヨーロッパ・ニューディール、スーザン・ジョージ、ケン・ローチらも参加するDiEM25 ( https://diem25.org/ )、バルファキスとサンダースのプログレッシブ・インターナショナル( https://www.progressive-international.org/open-call ) などがあげられる。
ヨーロッパ・ニューディールは、総所得の5%をグリーンエネルギーと持続可能な技術への投資に向ける、故国において生活賃金が得られる仕事に就く機会が得られる、全加盟国の人びとの基礎的ニーズを満たし、新たな基金の設立に寄与する、資本への報酬割合を上回るベーシックインカムを提供、社会的住宅供給政策の復活などを目標としている。

そして筆者の一人は、薔薇マークキャンペーン(https://rosemark.jp/)を展開している。スローガンは、「財政のために人々の暮らしがあるのではなく、人々の暮らしのために財政がある」、らしい。


そのほか、ささやかなエピソードもいくつか追加して挙げておく。

・ 東日本大震災の「復興を支えるために国民は、復興特別住民税を10年間、復興特別所得税を25年間支払い続ける。ところが、復興特別法人税はたった二年間で廃止されてしまった」

・ 「多くの人が気づいていないが、富裕層は実質的に消費税を支払っていない」なぜなら、生活費を会社の経費として使っているから。

・ 「2019年2月のマネタリーベースの対前年伸び率は4.2パーセントだ。これは民主党政権時代の強烈な金融引き締めをおこなっていた時代と同じレベルだ。金融緩和の出口論が議論されているが、日銀はとっくに出口を出てしまっている」

・ 「財政危機論を、それを口実にして財政緊縮を押しつけることで、公的社会サービスを削減して人びとを労働に駆り立てるとともに、民間に新たなビジネスチャンスを作り、公有財産を切り売りして大資本を設けさせようとする手口にすぎないとみなしています」

・ 「エリートが密室で作った政策より、生活に基づいた民衆の素朴な要求の方が尊重されるべきなのではないか? (中略) 「デモクラティック・エコノミー」を掲げる欧米の反緊縮運動が訴えていることは、そういうことなのだと私は思います」
 


松尾匡(ただす)「反緊縮宣言」(亜紀書房 2019.6.15)
まえがき
反緊縮って何だ・・・松尾匡
おすそ分けのすすめ・・・池田香代子
なぜ消費税を社会保障財源にしてはいけないのか・・・森永卓郎
他者を殴る棒・・・岸政彦
わたしにとっての反緊縮・・・西郷南海子
政府の借金なくしてデフレ脱却なし・・・井上智洋
反緊縮経済学の基礎・・・朴勝俊
リベラル再装填のために・・・宮崎哲弥
日本におけるポピュリズムの困難と可能性・・・梶谷懐
ヨーロッパを救うひとつのニューディール・・・ヤニス・パルファキス
世界中の革新派勢力への呼びかけ・・・プログレッシブ・インターナショナル




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