窪美澄「トリニティ」

1960年代に仕事をし始めた女三人、登紀子は恵まれた物書き女三代の豊かな暮らしの家で育ち、母親のつてでライターになったがそれなりの才能で自分の境地を切り開いた。妙子は岡山の田舎で棄てられた子として貧しい養親に育てられたが、迎えにきた母と中学卒業後東京に出て、母と二人の貧しい生活ながらも美大卒業前に飛び込みで売り込んだ先で認められ、イラストレーターになって母を楽させたいとの希望を叶えた。三人目の鈴子は佃煮製造の家で平凡な生活を送り、高卒で平凡なOLとしてお茶くみ雑用に明け暮れ、寿退社を夢見て平凡な結婚をして専業主婦、二人の子どもを育て上げた。

専業主婦の鈴子はともかく、早川摂のモデルは、平凡パンチやananの表紙イラストを描いた新人の大橋歩、佐竹登紀子のモデルは、三宅やすこ、三宅艶子と三代続く物書きの娘、三宅菊子であると、巻末の資料一覧でわかる。 「フィクションである」という断り書きがないのは、フィクションなのは当たり前だからだろうが、どこまでモデルに近いかは、それほど問題ではない。 戦争が終わり、60年代に仕事を始める年齢となる当時の女性にとって、自分の腕ひとつでフリーランスのライターやイラストれいたーになって食べて生きてゆくのは、どんなにたいへんだったか。しかも、母親や稼ぎの少ない夫の分まで稼ぐのだから。いつ才能が時代に合わなくなって仕事がなくなるか、そういう恐怖にとらわれ続ける。 

「「父と子と精霊の名において」 その三つは女にとっては、いったいなんだろう。 男、結婚、仕事。それとも、仕事、結婚、子どもだろうか」と、自問するイラストレーターの妙子。 トリニティのタイトルは、ここから生まれたのだろうか。 女性にとって大きな問いではあるけれども、その問いは男にとっても答えのない問いではないか。

夫にも子どもにも理解されずに、孤軍奮闘する、孤独な、寂しい戦いでもある。「何もないところから認められて、名を成す、ということの過酷さ」は、同じ体験をしない限り理解されることがない。 妙子はとくに孤独な子ども時代を引きずっているかのようだ。

作家は、おそらく、全ての女性に向けて、エールを送ったのだろう。専業主婦だって戦いなのだと。 ましてやフリーランスで仕事をする女性達に頑張れと。 



窪美澄「トリニティ」(新潮社2019.3.30)







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