西野瑠美子・小野沢あかね「日本人「慰安婦」」

「慰安婦」(Comfort Woman)は、実は固有名詞で日本軍従軍慰安婦を意味する言葉と読んだことがある。「性奴隷」と呼ぶ方が一般なんだと。 そんな「慰安婦」の話題は、朝鮮人慰安婦が多い。それは、90年代に、日本政府がその存在を否定したから怒りで告白した韓国人女性が現れたからだ。それから次々と名乗りを上げる人が現れた。「慰安婦」は、日本人女性も少なくなかったのに、名乗り上げる人もほとんどなく、調査もされなかった。ほとんどなかったことにされている存在を文書や証言から明らかにしようと挑戦している。

日本人慰安婦の特徴のひとつに、慰安婦時代を懐かしみ、良い時だったと懐古する人がいるということも挙げられる。それは、初期、業者の募集は、現役の芸妓・娼妓・酌婦が多く、国内での暮らしは借金まみれの辛い日々が多かったためでもある。軍の慰安婦は、借金を肩代わりしてくれ、しかも、2年の年期が終了したら病気休みがあっても前借金も完済となる、しかも払いは軍で安定している、という、たいへん好条件だったからだ。さらに、日本人慰安婦は将校向けが多く、一般兵士向けの朝鮮人慰安婦ほど過酷ではなかったということもある。

だからといって、日本人慰安婦が問題ないというわけではないし、もともと売春婦だったなら問題ないわけではない。前身が「売春婦」だったとしても、「慰安婦」制度そのものが、当時の法律や条約に違反していたことにちがいない。それぞれケースは異なっても、 人身売買の禁止、前借金を理由に人身を拘置したり、芸妓・娼妓の廃業を妨げてはならない、等の芸娼妓解放令」(1872)、「醜業を行はしむる為の婦売買禁止に関する国際条約」(1910)、「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1921)、「奴隷条約」(1926)、「成年婦女売買禁止条約」(1933)、帝国外へ移送する目的で女性を売買る行為を禁止した刑法226条 ・・・ 等に違反している。 本人が承知していても「人身売買」には変わりない。 

現在も国連は同様の判断だ。 「1990年代以来の国連人権機関では、奴隷の禁止、強制労働条約違反、人道に対する罪などの国際法上の基準に照らして議論が進められた。国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告書、ゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制」特別報告者、2000年の女性国際戦犯法廷などは、いずれも当時の国際法に照らして「慰安婦」問題の犯罪性と日本の国家責任を解明してきた」

それらを当時の動きで、少し細かく見ればれば、

・ 大審院の判断、「上海に移送する目的をもって人を誘拐して、これを同地に移送した時はただちに国外誘拐罪並びに国外移送罪の成立をきたすべく、同地に帝国軍隊が駐在するか否か、帝国裁判権が行われるか否かは、犯罪の成立に関係ないものとする」

・ 「長崎事件判決は「日本軍「従軍慰安婦」の募集を日本の司法が犯罪として処罰したただ一つの事例」であり、「日本軍の「慰安所」に女性を拉致して、「慰安婦」にした加害者の処罰に関する今のところ最初の公文書」である」

・ 「「奴隷狩りのような強制連行」は「略取」に当り、「いい仕事があると騙す」場合でものは「誘拐」に当たることがわかる。「奴隷狩りのような強制連行」がなくても、誘拐は犯罪である」

・ 長崎事件・静岡事件の大審院判決によれば、「国外移送目的の人身売買は犯罪とされていた」。 たとえ、「すでに公娼又は私娼であった場合でも、だまして国外に移送すれば誘拐罪」

・ 静岡事件の被害者には未成年がいて、未成年者誘拐罪が成立している

・ 「刑法の誘拐に当たる行為は強制連行であり、違法である」・・・ 安倍首相は「家屋に押し入った」誘拐だけを強制とし、路上誘拐を容認する発言を繰り返してきた。しかし、強制連行は奴隷狩りには限られない。略取・誘拐罪に当たる行為は、違法な強制連行である」

・ 略取・誘拐罪の規定は1908年刑法の規定。 だから、「当時は許されていた」とか「今日の価値基準で批判すべきではない」という主張は間違っている


筆者たちはこんな指摘もしている。「彼女たちが「慰安婦」となるにあたってその背中を押したものはもう一つあった。それは「お国の役にたてる」「靖国に祀ってもらえる」といった、ある種の「愛国心」、言い換えれば「国民」として平等に扱ってもらえることへの願望だった」。「お国のため」という台詞は、当時なら、かなり有効な決め台詞でもあったろう。 

もちろん、日本人慰安婦は、みな納得づくだったわけではない。「当時トラック島で「慰安婦」の監督にあたっていたという人物によれば「特殊看護婦」という名に誘われて応募したが、仕事が「慰安婦」だということに気付いたのはトラツク島にきてからだったという女性の事例もある。(中略) 人身売買だけでなく、朝鮮人「慰安婦」被害者等と同様、騙されたケースも多々あった」
 
一般兵士向け慰安婦はなぜ日本人女性でなかったのか。 「一般の女性を「慰安婦」にした場合、戦地の慰安所で妹や恋人に遭遇すれば兵士たちの士気が落ちる」。「慰安所に行く兵士にとって日本人女性が「慰安婦」であることは断じて許せなかったのだ」。 これはひどい差別であり侮蔑だ。日本人女性にはさせられないことを朝鮮人や中国人にはさせられるということだ。 

沖縄人なら、そこは大丈夫なのか。 沖縄戦の日本人兵士向けに「沖縄で「慰安婦」にされた辻遊郭の女性の場合、必要な時には「お国のために慰安婦になれ」と愛国心を盾にされ、戦後は「お前たち遊女は、社会の不道徳によって出来上がった売春婦なのだ。沖縄の恥をさらすな」「沖縄の恥」と蔑視され、行き場のない戦後。(中略) 通常の生活に戻るや蔑視と偏見に晒され沈黙していくしかなかった。結局は捨て石にされ沈黙していったのは、日本人女性も植民地・占領地の被害女性も同じだった」

そして、敗戦になると、すぐさま、占領軍兵士向けの慰安所を日本政府はつくった。 もう、ノウハウは十分あったから、驚くべきスピードだ。 「四千万大和撫子の純潔を守るため」、「大蔵省を通じて日本勧業銀行から5000万円の融資を受け、警視庁の主導の下、都下接客業7団体によって、8月23日に特殊慰安施設協会(RAA)が設立した。米先遣隊が厚木に到着した28日には、皇居前で設立宣誓式を行い、米軍の進駐ルートと考えられる大森海岸に慰安所第一号「小町園」をオープンさせている」



最後に、業者の証言がかなしい。 慰安所業者「Yさんは九州へ娘を「買い」に行ったときのことを、こう話してくれた。娘の出身層は貧しい農村や漁村のものが多い。娘を売りたがっている家は入り口に戸はなく、敗れたむしろか何かがかけてあり、薄暗くごみごみとした町はずれに多い。そのような家の大半は身売りの話に飛びつく。(中略) 現金での売買よりも、その日の食事に事欠く家は目先の米俵に弱い。その場で「この娘は米何俵」というやりとりが行われる」



西野瑠美子・小野沢あかね「日本人「慰安婦」」(現代書館 2015.3.1)
「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)編 
第一章 日本人「慰安婦」はどう集められたか
第二章 日本人「慰安婦」はどう扱われたか
第三章 日本人「慰安婦」の戦後はどうだったか






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