徐京植(ソ・キョンシク)「皇民化政策から指紋押捺まで」

かなり古いブックレットで、1985の外国人登録に関わる指紋押捺拒否が1万人を超えるというあたりの記事が最新の内容となっている。 で、吉田清治氏の証言など、いまでは、あまり信用できない内容も含まれているので、現在では、内容全体の信頼感は若干欠けている。 それでも、おおよそは間違いではないし、筆者の主張は、そんなことでは変わらないだろう。なにしろ、日本が朝鮮半島を植民地化したのは事実なのだから。

内容の多くは、詳細はともかく、多くは知られている内容である。だから、軽く全体をおさらいしたあと、初耳のことだけをいくつか選んで挙げておく。

在日朝鮮人は、1910年には790人だったが、1945年敗戦時には230万人にものぼっていた。 
その経緯を簡単に整理している

第一期 1910年代・・強権・恐怖政治である「武断政治」、会社令(設立は総督の許可制、土地調査事業で日本人地主優遇、農民の小作農化、国内への朝鮮人労働力導入
第二期 1920年代・・産米増殖計画で民衆窮乏化、一層渡日が増加
第三期 1931-38 中国大陸を本格的に侵略し始めた時期。日本に流入が激増、しかも賃金は半額
第四期 1939-45 日本に強制連行され、炭鉱、鉱山、軍需工場、飛行場などに送られた 100万人以上と言われる ・・・ 


・ 内鮮一体を提唱した第8代総督、「南次郎は「固陋なる民族主義的偏見に堕した者があり、また、共産主義者の蠢動があることは遺憾」であり、これを「絶滅」させるため「国体明徴」を「半島施政の根基」にすえるとし、神社参拝の励行、宮城遥拝、国旗掲揚の奨励、国歌の尊重、国語(日本語)普及の勧奨等を指示」し、民族運動を弾圧した。

・ 1936 各府県に協和会を設けて、協和事業に乗り出し、1937 「思想保護団体「大和塾」などを設置し、朝鮮人思想犯を無条件的に加入させて連座式の相互監視をさせたり」した

・ 1937.10 「皇国臣民の誓詞」が定められ、その日常的な斉唱が制度化され」た

・ 1939.7.28 内務・厚生両次官による通達「朝鮮人労務者内地移住に関する件」、事業主に朝鮮人集団募集がみとめられ、官斡旋方式 (緬や駐在所に割り当て人数を確保させる、実際は奴隷狩り) で多くは集められた

・ 1943 国語普及運動を大々的に展開する一方、1942から43にかけて、 「朝鮮語辞典の編集に取り掛かっていた朝鮮語学会33人が治安維持法違反で検挙され、二人が拷問のため獄死させられ」た

・ 沖縄阿嘉島では、日本軍による朝鮮人殺害があった

・ 1945.5.30 「日本軍は「朝鮮と満州における対米ソ作戦強化」のため、38度線を境界として北側を関東軍の、南側を朝鮮軍(朝鮮駐在の日本軍の呼称)の作戦指揮下に編成していました」、これが結果的に固定してしまった。

・ 「サンフランシスコ講和会議にも、朝鮮民主主義人民共和国はもちろん、勧告も招請されませんでした。当初アメリカは、「合衆国が韓国政府に対して威信を築く」ため、韓国を平和条約署名国に加える方針でしたが、日本側は「(韓国が)連合国として取扱われれば、在日朝鮮人は連合国人の地位を取得することになり、これから生ずる社会的困難は深刻であろう」(西村熊雄条約局長)とこれに反対しました」

・ 「アメリカは、日本占領の基本方針のなかで、日本敗戦後もにほんにとどまっていた朝鮮人(および)台湾系中国人」を「軍事上許すかぎり解放民族として取扱うべきである」が、「かれらは日本臣民であったのであり、必要の場合には敵国民として処遇してよい」と規定しました」・・・「朝鮮民族の立場から言えば、日本によって「臣民」にされたために、解放後も「敵国民」として扱われるという、二重苦です」

・ 「当時の日本政府は、在日朝鮮人は連合国との平和条約によって戦争状態が集結するまでは、朝鮮半島に住む朝鮮人も含めて日本国籍を有する、という立場をとっていました。すなわち、「連合国国民」や「中立国国民」としては処遇しない、朝鮮人はひき続き日本国籍保持者としての義務に服せ、ということです」

・ 「日本政府は在日朝鮮人を、その民族自主権(民族教育など)を否定するためには「日本国籍保持者」とみなし、また、「日本国籍保持者」として保障されるべき権利(日本での居住権、参政権など)を奪うためには「外国人」とみなしたのです」・・・この指摘は、もっとも的確なように思う。

・ 「そもそも、軍事クーデターによって政権についた朴政権に、朝鮮民族を代表して日本帝国主義によって被った惨害についての請求権を放棄する資格はなかったのです。朴正煕は、個人としても、かつて関東軍将校として朝鮮民族の抗日独立運動を弾圧する側に立っていた人物でした」

・ 「日韓条約にもとづく「法的地位協定」によって、在日朝鮮人のうち「韓国籍」をもち、1966年1月から5年の間に本人が申請した者に対して「協定永住権」が与えられることになりました」・・・「朝鮮民族の総意を代表する単一の政府との二国間のとりきめができない実情である以上、日本政府は、植民地支配の歴史を清算する観点から、「韓国籍」「朝鮮籍」の別にかかわらず、子孫にいたるまで、在日朝鮮人の日本での居住権を一方的に補償すべきです」

・ 「帰化行政においては、つい最近まで「日本人としてふさわしい氏名」に変更することが事実上強制されてきました」

・ 「指紋押捺と証明書の常時携帯義務を組み合わせた制度は、南アフリカのパス法や「満州国」の労務者管理制度に共通するものとの指摘がされています」






徐京植(ソ・キョンシク)「皇民化政策から指紋押捺まで」(岩波ブックレット128  1989)
在日朝鮮人とは何か -その歴史的背景
癒やされぬ傷跡 -太平洋戦争と朝鮮人
「皇民化政策」 -民族抹殺政策
民族分断の時代へ -1945年以後
「皇民化」は終わらない -現在の在日朝鮮人
おわりに -民族統一から真の解放へ


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